宿毛市 【廃校小学校】石原 都賀ノ川(分) 京法 楠山 長浜(谷尻) 出井(分) 鵜来島 二ノ宮(和田第二) 和田(和田第一) 坂本 大物川(分) 母島 弘瀬 平田第二(上野分校) 田の浦 小筑紫{注} 栄喜 松田川 橋上
【廃校中学校】田の浦 鵜来島 楠山 平田 山奈 弘瀬 母島 橋上
【廃校県立高校】宿毛小筑紫分校 幡多農業山奈分校{注}
【休校小中学校】なし 小19中8高1合計28校
【現存小学校】小筑紫{注} 大島 咸陽 宿毛 山奈 平田 組合立篠山 沖の島
【現存中学校】小筑紫 片島 宿毛 東 沖の島 組合立篠山
【現存県立高校】宿毛 宿毛工業 小8中6高2合計16校
幡多農業高校山奈分校はのちに県立宿毛工業高校として改称独立したため休廃校とはカウントせず
現小筑紫小学校は田の浦小学校と小筑紫小学校の統合により新設。その際に旧小筑紫小学校は廃校手続きがとられている。
学校統廃合の流れ
1954(昭和29)年 和田第一小学校を和田小学校、和田第二小学校を二ノ宮小学校、谷尻小学校を長浜小学校に改称
1958(昭和33)年 田ノ浦中学校を小筑紫中学校に統合
平田小学校上野分校を平田第二小学校として独立、平田小学校を平田第一小学校に改称
1959(昭和34)年 大物川分校を山奈小学校本校に統合
1965(昭和40)年 平田中学校・山奈中学校を新設の東中学校に統合
1966(昭和41)年 坂本小学校を橋上小学校に統合
1970(昭和45)年 都賀ノ川分校を田ノ浦小学校本校に統合
1971(昭和46)年 和田小学校・二ノ宮小学校を新設の松田川小学校に統合
1972(昭和47)年 長浜小学校を母島小学校に統合
1975(昭和50)年 出井分校を楠山小学校本校に統合
1977(昭和52)年 橋上小学校京法分校を京法小学校として独立
1978(昭和53)年 平田第二小学校を平田小学校に統合
1981(昭和56)年 京法小学校を橋上小学校に統合
楠山中学校を橋上中学校に統合
1989(平成 1)年 鵜来島小中学校休校(離島のため統合先なし)
1991(平成 3)年 石原小学校を小筑紫小学校に統合
1998(平成10)年 楠山小学校を橋上小学校に統合
1999(平成11)年 宿毛高校小筑紫分校廃校
2004(平成16)年 弘瀬小中学校と母島小中学校を統合して沖の島小中学校に(施設は母島小中学校を利用)
2010(平成22)年 小筑紫小学校と田の浦小学校を統合し新設の小筑紫小学校に
沖の島小学校休校
2011(平成23)年 栄喜小学校を小筑紫小学校に統合 即座に廃校手続き
2012(平成24)年 沖の島小学校復校
2020(令和2)年 松田川小学校廃校 沖の島中学校復校
2024(令和6)年 橋上小学校・橋上中学校廃校
Thanks 宿毛市教育委員会
2007(平成19)年11月発表の学校再編計画
平成30年度までに現行11小学校6中学校を5小学校2中学校に統合。
まずH21年度に栄喜小・田の浦小を小筑紫小(小筑紫中学校内に新築)に統合。
H24年度に宿毛小・大島小・松田川小・橋上小を新設校に統合。
H27年度に小筑紫中・片島中・宿毛中・橋上中・東中を新設校に統合。
H30年度に山奈小と平田小を統合。
2010(平成22)年7月発表の学校再編計画
2011(H23)年度 栄喜小学校を小筑紫小学校に統合
2012(H24)年度 橋上中学校を宿毛中学校に統合
橋上小学校を橋上中学校跡に移転(耐震基準の問題による)
2014(H26)年度 宿毛小学校と松田川小学校を統合(新設予定)
2020(H32)年度 山奈小学校と平田小学校を統合(新設予定)
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高知県西部に位置する宿毛市は1954(昭和29)年3月31日に宿毛・小筑紫・平田・山奈・橋上・沖の島の6ヶ町村が合併し、面積284.79平方km、人口3万2、500人余りを擁する宿毛市として誕生した。その後全体的に過疎化が進行し、1970(昭和45)年には2万5、028人となった。しかし近年になって鉄道宿毛線の建設や高知西南中核工業団地の整備などにより、高知県の西の玄関口として平成12年国勢調査では2万5、970人と人口も定着しつつある。1994(平成6)年には宿毛高校が県西部からは久しぶりの甲子園出場を果たしている。
高知県内では2つしかない離島が鵜来島・沖の島であるが、両方とも宿毛市に属する。宿毛港から朝夕定期船が出ており、両島を廻っている。もっとも磯釣りのメッカである沖の島周辺は大月町柏島から直線距離で4kmで、釣り客はこちらからの渡船も多い。両島の間にある姫島は無人島である。
学校の統廃合は山間部から始まり、最近になってこの離島にも及んでいる。鵜来島小中学校は離島のため統合先がなく1989(H2)年からしばらくの間休校になっていたが2007(H19)年に廃校となった。また小筑紫には宿毛高校小筑紫分校があり、長い間県内唯一の無線科が設置されていたがこの分校も廃校となっている。県境には「高知県宿毛市・愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小中学校」という日本一長い学校がある。国内でも珍しい県境を跨いだ組合立の学校である。ちなみに以前は「高知県宿毛市・愛媛県南宇和郡一本松町篠山小中学校組合立篠山小中学校」とさらに一文字長かったが、3年前の町村合併で一本松町から愛南町になったので短くなった。
平成の合併では当初の高知県試案では幡多地域広域合併案(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市・宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市)もしくは東西(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市と宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市とのグループ)2分割案が出ていた。広域合併案はさすがに協議内容が複雑になりすぎて時間的な余裕がないということで流れた。西土佐村は地理的に結びつきの強い十和村・大正町との合併協議を並行するという選択肢も残していたが、ひとまずは東西での合併協議が進んでいた。ところが東グループは庁舎位置を巡って紛糾し、佐賀町と大方町の住民投票によって合併否決となり、この2町の離脱が決まった。結果的に東グループは残った中村市と西土佐町が四万十市になり佐賀町と大方町も黒潮町として発足することになった。いっぽう西グループは土佐清水市の合併協議参加を巡って対立し、三原村が離脱した。残った宿毛市と大月町で合併協議が進められ、合併協定に調印したものの議員定数と選挙区割りで紛糾し大月町議会の否決により白紙となった。