二ノ宮小学校(宿毛市)  にのみや
  旧宿毛町立和田第二小学校から合併で宿毛市立二ノ宮小学校に改称後、1972(S47)年に松田川小学校に統合

在籍児童数

   1958(S33) 1963(S38)  1968(S43) 
二ノ宮小学校 145  118  79 


 二ノ宮小学校へは宿毛市街から県道4号宿毛津島線を松田川沿いに遡ることになる。県道分岐(宿毛市中心部)から2kmほどで左手に市立二ノ宮保育園があり、そこが学校跡である。敷地内に記念碑が建立されている。

 訪問は2009(平成21)年の3月、昨年暮れに最上流部にある楠山小学校出井分校を訪れているがその際は時間切れのため立ち寄れなかった。この松田川沿いには支流も入れてかつて8小学校(2分校含む)3中学校合計11校があったが、訪問時点で宿毛小・宿毛中・橋上小・橋上中・松田川小の3小2中の5校に減っている。なおかつ今後の宿毛市学校再編計画では橋上小・橋上中・松田川小の実質的廃校が決定しているのであと6年ほどでさらに訪問対象が増えることになる。
 二ノ宮小学校の歴史は1875(明治8)年に遡る。その後尋常小学校時代に和田第二小学校と改称された。1954(昭和29)年の宿毛市誕生の際に二ノ宮小学校と改称されている。その後1972(昭和47)年に和田小学校とともにほぼ中間地点に新設された松田川小学校に統合されその歴史を閉じている。統合の理由は校舎老巧化と交通事情改善による通学距離の変化だったらしいが、たしかに和田小学校とは1.5kmほどの距離しかなくやむを得ない選択であったのだろう。宿毛小学校への統合も検討されたらしいが上流部の校区からは遠すぎるので松田川小学校の新設となったと地元の方に教えていただいた。校区は中角・二ノ宮・高石・高津・野地の5地区、すべて松田川右岸地域になる。

 松田川もちょうど二ノ宮小学校校区あたりからは両側に平坦地が増え、水田や畑が広がる風景となる。県道沿いの山際に人家が並び、おそらくはその裏の雑木林で薪を拾って炭焼きをしたり煮炊きに使っていたのであろう。少子化のため当然児童数は減っているが、宿毛市街地に近いこともあってそれほど急激な過疎化とはなっていないもよう。ただし校舎の耐震補強費用や根本的な財政難もあって一度は見送られた宿毛小学校への実質的統合は避けられなくなっている。