楠山小学校出井分校(宿毛市)  いでい
  旧橋上町立橋上第二小学校出井分校から楠山小学校出井分校へ改称したが1975(S50)年本校統合


児童在籍数

  1958(S33)  1963(S38)   1968(S43)
出井分校   32  28 10 



 楠山小学校出井分校へは県道4号宿毛津島線を松田川沿いに遡ることになる。県道分岐(宿毛市中心部)から28Km、時間にして45分程度、愛媛県との県境まではわずか2kmの場所になる。

 訪問は2008(平成20)年の12月、行きは一本松町(現愛南町)から篠川沿いに遡り篠山トンネル経由でいったん津島町(現宇和島市)犬除へ出てから向かった。南宇和の町村合併で愛南町ができたのは知っていたが、津島町が宇和島市と合併したいたのは知らず看板に驚いた。このルートは高校3年の冬に自転車で走って以来なので26年ぶりとなる。
 前述のように県境から2kmほど走ると左手に一目でわかる学校跡が見え、そこが出井分校跡である。すぐ隣に1軒人家があるもののあとは廃屋ばかりが目立つ。分校当時の校舎は取り壊されており集会所に建て替えられている。もっとも集会を開くほどの住民は残っていないため、ほとんど使われていないそうである。出井分校の設立は1898(明治31)年の楠山尋常小学校出井分教場発足となり、その後楠山本校の改称で橋上第二小学校出井分校となりさらに1954(昭和29)年に楠山小学校出井分校分校となった。手持ちの資料では1963(昭和38)に28人、1968(昭和43)に10人の児童がいたとある。地元の住民の話では1950年代半ばのピーク時には40人を越えていたらしい。過疎化進行のため1975(昭和50)年に楠山本校統合となって廃校になったが、実際の通学先は愛媛県津島町立御槙小学校へ区域外就学となった。距離的には圧倒的に津島町のほうが近かったからである。中学生になると楠山中学校でも愛媛県側でもどちらでもよいとされていた。現在は校区内児童数はゼロ、ちなみに統合先の楠山小学校は1998(H10)年に橋上小学校に統合されているが区域外就学先の御槙小学校は現存する。
 林業と炭焼きの収入で生活の糧を得ていたのはこの地域も同様、今では猪が闊歩する状態である。最近は鹿と猿の被害も増えており、人が負けて追いやられるケースが多いとか。