旧吾川村 【廃校小学校】長渕(名野川第二)  上名野川  下名野川  加枝  久喜  寺村  名野川  大崎
       【廃校中学校】組合立仁淀中学校  吾川
       【休校小中学校】なし
       【廃校県立高校】仁淀  小8中2高1合計11校  
       【現存小学校】なし  
       【現存中学校】なし    小0中0合計0校
注:組合立仁淀中学校は仁淀村との共同運営

学校統廃合の流れ
1955(昭和30)年 名野川第二小学校を長渕小学校に改称
1957(昭和32)年 地区編入により久喜小学校・加枝小学校を吾川村立とする
1966(昭和41)年 久喜小学校・加枝小学校を大崎小学校へ統合
1976(昭和51)年 組合立仁淀中学校を解消し大崎中学校へ統合、吾川中学校に改称
1980(昭和55)年 長渕小学校を名野川小学校へ統合
1993(平成 5)年 上名野川小学校を下名野川小学校へ統合
2002(平成14)年 下名野川小学校を名野川小学校へ統合
2004(平成16)年 寺村小学校を大崎小学校へ統合
2011(平成23)年 県立仁淀高校廃校
2013(平成25)年3月 名野川小・寺村小・吾川中廃校、吾川中学校は池川中学校へ統合
2014(平成26)年3月 大崎小学校廃校、池川小学校へ統合

Thanks 吾川村教育委員会

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 吾川村は1955(昭和30)年に大崎村と名野川村が合併して誕生した。その後仁淀川南岸の加枝・久喜地区を仁淀村から編入して現在の状態に至っている。高知市からは国道33号線を1時間弱半ほど走ることになる。以前は国鉄(のちJR)高知松山間の急行バスが走っていたが2003(平成15)年で廃止され、高速道にシフトが移った。大崎を拠点に池川町や仁淀村の奥まで国鉄のツバメマークのバスが山間部を走っていたのも古い話になりつつある。
 主な産業は林業とお茶や山菜の栽培で、以前は中津明神山にスキー場があったものの雪不足が顕著になりもっぱらパラグライダー場として売り出しをしている。中津明神山の入り口である名野川には中津渓谷があり、温泉もあって四季を問わず行楽客で賑わっている。
 現在では小学校2校/中学校1校となっている。合併協議は広域行政で結びつきの強い佐川町/越知町/仁淀村/池川町との5ヶ町村で進められていた。高知県内でも有望視されていたグループであったが、やはり庁舎位置が最大の問題となり、越知町が離脱したため中に浮いた形となった。その後池川町と仁淀村との3ヶ町村での合併協議が再び進み、2005(平成17)年8月に仁淀川町が誕生した。
 仁淀川町発足後も少子化は深刻な問題で3中→2中が決定され、吾川中が池川中に統合された。小学校は名野川小学校が統合されたこともあり現状と思われたが、大崎小学校の父兄から「どうせ中学校で一緒になるのなら多人数がよい」という陳情書が提出され、急遽池川小学校への統合も決まった。このため3町村合併の仁淀川町役場のある大崎地区から学校が全てなくなるという全国的にも珍しい状態となった。
 

★旧大崎村 【小学校】寺村  大崎
         【中学校】吾川
 長い間、旧大崎村での休廃校は1校もなかったが、これは地理的な原因が大きく、もともと3校しかなかった(久喜・加枝は旧仁淀村)ためである。しかし2004(H16)年3月に寺村小学校が休校した。高速道路完成までは国道33号線が高知−松山間のメインルートであったため、交通量は非常に多かった。大崎から西へ数キロの引地橋はお茶屋が数軒あって近年まで引地の茶屋はバスやドライバーの休憩所として賑わっていた。今は交通量も激減し、お茶屋も1軒のみとなった。
 大崎が有名となったのは東京オリンピックの聖火リレーの宿泊地となったことだそうだ。大賑わいしたという話であるが、何と言っても作者の生まれた年なので文献や伝聞でしか知るよしがないので他に書きようがない。

★旧名野川村 【小学校】上名野川  下名野川  長渕  名野川
          【中学校】組合立仁淀
 名野川で仁淀川の支流である中津川が合流するが、その中流から上流に位置するのが上名野川と下名野川である。本流沿いには組合立仁淀中学校と長渕小学校があった。なおこの地域で唯一の県立仁淀高校が設置されていたが生徒数減少で廃校となった。ややこしいのだが仁淀高校という名前と所在地からすると旧仁淀村にありそうに感じるのだが、実際は旧吾川村大渡に所在する。2011(H23)年暮れに保護者側から休校の話が持ち上がり、名野川小学校が翌年3月で休校となった。このため旧名野川村からは学校の火が消えてしまった。


★旧仁淀村  【小学校】久喜  加枝