長渕小学校(吾川村) ながぶち
旧名野川村立長渕小学校から合併で吾川村立へと改称後1980(S55)年休校
国道33号線を愛媛県境向けて走り、大渡ダムを過ぎて少し行くと左手のダム湖畔に廃墟が見える。それが長渕小学校跡である。
生徒数 | 1945(S20) | 1955(S30) | 1965(S40) | 1975(S50) | 1980(S55)閉校時 |
長渕小学校 | 160 | 104 | 81 | 9 | 3 |
北の山手から遠望した長渕小学校跡
訪問は2004(平成16)年の1月、ここはいわゆる廃墟伝説があるそうで割合有名らしい。この場所に移転したのは1976(昭和51)年、しかしその4年後には休校となっている、大渡ダム補償の費用投入もあって当時は高知県内唯一の全教室に冷暖房を完備した最新鋭の校舎だったと聞くが、ダム問題や移転手続きを巡って保護者とトラブルがあり、一部の児童は対岸の仁淀村立沢渡小学校へ通っていたそうだ。そのような経緯があったためか、閉校後は完全に放置され荒れ果てるままになっている。ほとんどの地域では閉校後の学校施設は集会所や公民館などに再活用されているが、ここは既に再利用の価値はないほど荒れ放題であった。
校庭から校舎
その後校庭などの空き地を利用してマッシュルーム栽培が行われているという報道があった。たしかに遠くから見ると白い建物がいくつか作られている。ただし、入り口で厳重に施錠してチェーンがかけられており、管理者との接触ができなかったので現状の写真はあえて撮影しなかった。
ダム湖対岸より旧長渕小学校跡
2010(平成22)年3月に再訪問、移転前の学校所在地がわかったためである。場所は現在の学校跡より500mほど北西、旧国道33号線のすぐ下である。かつては仁淀川沿いの峡谷を見下ろす崖っぷちに建てられていたらしいが、現在はダム湖がすぐそばまでせまり面影はない。洪水時には冠水することもあるらしく、そのためダム完成に伴って移転となったそうである。跡地はテーブルやベンチが置かれ、公園となっているが学校跡を偲ばせる痕跡は何もない。
旧国道33号線から見下ろす