上名野川小学校(吾川村)  かみなのかわ   へき地級2(1978)
  旧名野川村立上名野川小学校から合併で吾川村立へと改称後H5年休校

 吾川村名野川で国道33号線と別れ、名野川小学校を過ぎ中津渓谷を右手に見ながら山道を走る。途中でH12年に休校になった下名野川小学校の前を通り、国道から10キロほど走ると集落が開け左手に上名野川小学校が見えてくる。以前は奥名野川と呼ばれていたらしいが、いつの間にか上名野川となった。

生徒数 S26 S30 S40 S50 S60 H5
上名野川小学校 89 75 69 23 8 2

現在の上名野川小学校跡

 訪問は平成16年の正月、写真を見てわかるとおり「明神ランド」という看板が出ている。正式には「過疎高齢者生活センター 明神ランド」という名称である。近くで作業していた方に聞くと、休校の際に学校の建物を残すよう主張した人たちが住居として改装し一時期暮らしていたが現在は誰もいないそうである。家賃は1ヶ月3千円で風呂や炊事場もあるが、やはり住み慣れた家に帰ったりここに来たりの二重生活ではかえって生活費がかかったそうだ。
 標高525mという石碑のある校庭からは中津明神山(1,541m)がよく見える。ここからさらに車で20分ほどかかるが、山頂まで車道が整備されている。途中には吾川スカイパークがあって、パラグライダーの練習場として売り出している。元々この上名野川地区は雪が多かったそうで、吾川スカイパークもスキー場として開発された歴史がある。しかし近年は温暖化の影響でスキーができるほどの積雪はなく、パラグライダーやマウンテンボードといった通年アウトドアスポーツが主になっている。とはいえ、中津明神山の山頂ともなると1月から2月は雪化粧した冬山となる。
 昭和20年代には上名野川地区全体で500人を越えていた人口は今は100人を割っているそうで、最盛期に89人いた児童は現在中学生(生徒)が1人いるだけ。「たぶん今は昔の児童数より地区の人口のほうが少ないはず」と教えてくれた。

校庭から中津明神山を望む