土佐清水市 【廃校小学校】松山(分)  出合(分)  横道(分)  藤ノ川(分)  有永(分)  大津  立石  松尾  養老  宗呂
        【廃校中学校】出合  三崎  足摺岬
        【休校小中学校】布中(2005〜) 貝ノ川中(2006〜)  布小(2009〜) 益野小(2009〜) 貝ノ川小(2009〜)
                   下ノ加江中・下川口中(2013〜)  窪津小(2015〜)  中浜(2018〜)  小15中7合計22校
        【現存小学校】下ノ加江  幡陽  足摺岬  清水  三崎  下川口  
        【現存中学校】清水  
        【現存県立高校】清水  小6中1高1合計8校

学校統廃合の流れ
1978(昭和53)年 下川口小学校松山分校を本校に統合
1980(昭和55)年 出合中学校を下川口中学校に統合
1982(昭和57)年 貝ノ川小学校藤ノ川分校を本校に統合
1984(昭和59)年 宗呂小学校出合分校を本校に統合
1988(昭和63)年 清水小学校横道分校を本校に統合
            宗呂小学校有永分校を本校に統合
1993(平成5)年  大津小学校休校 のち2004(平16)年に廃校
1996(平成8)年  立石小学校休校 のち2010(平22)年に廃校
2004(平成16)年 松尾小学校・養老小学校休校 養老小学校は2006(平18)年度で廃校 松尾小学校は2011(平22)年に廃校
2005(平成17)年 布中学校休校
2006(平成18)年 貝ノ川中学校休校
2009(平成21)年 布小学校・益野小学校・宗呂小学校・貝ノ川小学校が休校
2013(平成25)年 下ノ加江中・足摺岬中・下川口中・三崎中を休校にし、清水中に統合
2014(平成26)年 3月に三崎中・足摺岬中を廃校
2015(平成27)年 3月に窪津小休校、宗呂小を廃校
2018(平成30)年 中浜小学校休校

Thanks 土佐清水市教育委員会 

市立小・中学校統合プラン(2007.2発表)
2009(H21)年度までに 布小→下ノ加江小/益野小→三崎小/宗呂小・貝ノ川小→下川口小
2012(H24)年度までに 下ノ加江中・足摺岬中・下川口中・三崎中・清水中→一校に統合
2014(H26)年度までに 幡陽小・窪津小・中浜小・清水小→一校に統合
土佐清水市より発表された学校再編計画はかなり大規模なものとなった。過疎化・少子化による児童生徒数減少と財政事情悪化、加えて耐震補強問題も一気に重なった形となり、土佐清水市は単独自立を選んだのだからしょうがないという意見もあるが、実際には自立しか選べなかっただけで仮に合併を選択していたところで時間の問題だっただろう。中学校は耐震問題と南海地震の津波被害が想定されるため移転確定の清水中学校への実質的な統合となり、同様の問題を抱えている清水小学校も実質的には統合となる。その他の学校も下川口小学校は統合予定の宗呂・貝ノ川2小学校を加えても現時点で児童数48人に過ぎず、道路事情の問題があって今回統合の見送られた足摺岬小学校(児童数36人)も含めていずれ再統合という話になるのではないかと思う。

小学校統合プラン(2016.7発表)
2007年に発表された小中学校統合プランは結局第二弾の中学校統合までで終了した形になっていたが、中浜小学校が2018年度に清水小学校に統合されることが決定。幡陽・足摺岬小学校については今回見送りとなったものの、幡陽小学校体育館と足摺岬小学校校舎の耐震化が未完了なのでいずれ再燃する可能性が高いと思われます。

小学校統合プラン(2023.2発表)
2024年度に下ノ加江小・幡陽小を清水小に統合、下川口小を三崎小に統合。下ノ加江小・幡陽小の保護者からは合意を得ているが下川口小は保護者との協議が続いている。2025年度に足摺岬小を清水小に統合、こちらもまだ保護者との協議が続いている。



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 高知県というより四国の西南端部に位置する土佐清水市は1954(昭和29)年に清水町・下ノ加江町・三崎町・下川口町の4町が合併して誕生した。市内の海岸線ほぼ全域が足摺宇和海国立公園に属する自然が売り物で、足摺岬を中心に年間80万人以上の観光客が訪れる。足摺岬には四国八十八カ所第38番札所金剛福寺があり、その風景を描いた田宮虎彦氏の小説「足摺岬」は映画化も「されている。黒潮が日本本土で最初に接岸する地の利を活かしての漁業も盛んである。幕末から明治にかけての開国に多大な貢献をしたジョン万次郎も中浜の漁師出身である。
 市制誕生時に3万2千人を超えていた人口は現在1万9千人台に減少している。小中学校の統合はまず山間部の分校の統合から始まり、平成になってから徐々に周辺部から統合が進んでいる。2007年以降に耐震補強に伴う清水中学校の移転が決まり、中学校再編計画が進められる事は確実となった。以前は難路として有名だった国道321号線も完全改良され昔日の面影はないが、当然の事として道路改良は過疎化に弾みをつけたことになる。


 平成の合併では当初の高知県試案では幡多地域広域合併案(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市・宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市)もしくは東西(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市と宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市とのグループ)2分割案が出ていた。広域合併案はさすがに協議内容が複雑になりすぎて時間的な余裕がないということで流れた。西土佐村は地理的に結びつきの強い十和村・大正町との合併協議を並行するという選択肢も残していたが、ひとまずは東西での合併協議が進んでいた。ところが東グループは庁舎位置を巡って紛糾し、佐賀町と大方町の住民投票によって合併否決となり、この2町の離脱が決まった。結果的に東グループは残った中村市と西土佐町が四万十市になり佐賀町と大方町も黒潮町として発足することになった。いっぽう西グループは土佐清水市の合併協議参加を巡って対立し、三原村が離脱した。残った宿毛市と大月町で合併協議が進められ、合併協定に調印したものの議員定数と選挙区割りで紛糾し大月町議会の否決により白紙となった。