布中学校(土佐清水市)   ぬの  へき地級1(1978)
  旧伊豆田村立伊豆田中学校布分校として設立、町村合併のため下ノ加江町立に改称後独立校。さらに土佐清水市立と改称され2005(H17)年より休校

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2004(H16)
在籍生徒数  145 123  105  49  15 



 布中学校は布小学校とは約300mの至近距離にあり、その経緯からすると当初は併設校ではなかったかと思う。布地区は土佐清水市の北東部に位置し、現行教育制度直後は伊豆田村に属していた。下ノ加江からは県道343号間崎布堂ヶ谷線を海沿いに東進し、約5kmほどで到着する。布川と高平川にはさまれた形で想像より平地の多い半農半漁の地区である。

  校舎(左手奥に布城があったらしい)

 訪問は2017(平成29)年の4月と12月の二回、4月はあいにく時間の関係で地元の方が見つからず写真撮影だけになり出直すことになった。もっとも小さな集落なので布小学校訪問と同時に行った。学校の歴史は1947(昭和22)年の伊豆田村立伊豆田中学校(下ノ加江中学校の前身)布分校から始まっている。下ノ加江からはわずか5kmだが当時は車道も整備されておらず山道か海路しかなかったそうだ。伊豆田村が町制施行で下ノ加江町となった1950(S25)年に
下ノ加江町立伊豆田中学校布分校、1954(S29)年には本校が下ノ加江中学校に改称したことから同布分校となった。翌1955(S30)年の町村合併で土佐清水市となったときに独立校となり、土佐清水市立布中学校になった。いずれの時代も布小学校と立石小学校が校区になっていた。卒業生総数995名を数えた後に2005(H17)年度から休校となっている。学校の歴史では1959(S34)年に新築移転とあり、土佐清水市合併時の条件に布中学校の独立校化があるので前述のようにこれまでは併設校であった可能性が高い。

 応仁の乱を避けて土佐幡多荘に下向した一条氏の家臣・後見人であった立石氏は立石から布にかけてを領地としており、中学校西の山上標高80mの場所に布城を構えていた。一条氏滅亡後は長宗我部氏の家臣となったが徳川場各府樹立後の山内氏入国に伴って肥後に立ち退いたため廃城となっている。

体育館

 二度目の訪問で何人かの住民から話を伺うことができたのだが、やはり多くは半農半漁で自家消費用の食料を賄い林業・炭焼きで現金収入を得ていたそうである。布という地名の由来は沼からきたそうで、二つの川にはさまれた平地は稲作に適しており、前の海ではそこそこの漁獲があったとのこと。初回訪問時点での生徒数は2名、当初の統合先であった下ノ加江中学校も休校となり清水中学校まで通学している。布地区の人口は2010(H22)年の国勢調査時点で421人となっている。寂れたとは言えまだ400人近い住民が暮らしており、商店が1つ健在であった。布から立石までの車道は1965(S40)年までなかったそうだ。この間の生徒は山道を歩いて通学していたのだろう。

1801(享和1)年の「西郷浦山分廻見日記」によると村方373人浦方173人となっている(ただしこの数字には立石分が含まれている)。1891(M24)年に912人の記録が残されている。

 休校記念碑