布小学校(土佐清水市)   ぬの  へき地級1(1978)
  旧伊豆田村立布小学校として設立、町村合併のため下ノ加江町立・土佐清水市立と改称され2009(H21)年より休校

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2000(H12)
在籍児童数  227 187  120  74  20  20 



 布地区は土佐清水市の北東部に位置し、現行教育制度直後は伊豆田村に属していた。下ノ加江からは県道343号間崎布堂ヶ谷線を海沿いに東進し、約5kmほどで到着する。布川と高平川にはさまれた形で想像より平地の多い半農半漁の地区である。学校規模からてっきり併設校とばかり思っていたのだが布小学校・布中学校は別に所在している。高平川左岸の通称東谷と呼ばれる下流側に小学校、300mほど離れて高平川と布川の合流地点にはさまれる形で中学校になっていた。

校舎

 訪問は2017(平成29)年の4月と12月の二回、4月はあいにく時間の関係で地元の方が見つからず写真撮影だけになり出直すことになった。学校の歴史自体は1874(明治7)年の布村布尋常小学校設立から始まっており、この時点で教師1生徒23の記録がある。もっとも生徒23のうち女1というのは明らかに少なすぎており、時代を反映して考えるともっと女子の数は多かったであろう。当時の布村は幡多郡布村となっており、1570(天正7)年の幡多荘布之村他二村地検帳に記載があり、当時は一条氏配下の立石氏の領地になっていたようである。立石氏は一条氏の後見人として一定の勢力を誇っており、布集落の西側の山上80mの場所に布城を築いていた。一条氏滅亡後は長宗我部氏の家臣となって織豊期でも村名が確認されている。布城は山内氏の土佐入国に伴って立石氏が肥後に立ち退いたため廃城となった。布村自体は土佐藩となってからの1640年頃の寛永地検帳でも村方と浦方とあり、当時から地形を生かしての半農半漁の生活であったようだ。1889(明治22)年に伊豆田村の大字になり、1950(S25)年に下ノ加江町となったがわずか4年後には土佐清水市の大字となった。
 1924(大正13)年に現在地移転という記録があり、それまではもっと海岸寄りにあったそうである。現校舎はその後1982(S57)年に落成、1996(H8)年1月には体育館が落成した。1996(H8)年4月からは立石小学校が統合されて当初は6名の児童が通学していた。それでも児童の減少は進む一方で2008(H20)年度限りでの休校となり、134年にわたる歴史を閉じることになった。

体育館

 二度目の訪問で何人かの住民から話を伺うことができたのだが、やはり多くは半農半漁で自家消費用の食料を賄い林業・炭焼きで現金収入を得ていたそうである。布という地名の由来は沼からきたそうで、二つの川にはさまれた平地は稲作に適しており、前の海ではそこそこの漁獲があったとのこと。初回訪問時点での児童数は2名、立石小学校校区からはゼロである。布地区の人口は2010(H22)年の国勢調査時点で421人となっている。1801(享和1)年の「西郷浦山分廻見日記」によると村方373人浦方173人となっている(ただしこの数字には立石分が含まれている)。1891(M24)年に912人の記録が残されている。