旧仁淀村 【廃校小学校】川渡  高瀬  森  沢渡  別枝  泉川
       【廃校中学校】長者  別枝  泉川  仁淀組合立 
       【休校小中学校】なし  小6中3合計9校
       【現存小学校】長者  別府
       【現存中学校】仁淀  小2中1合計3校
注:仁淀組合立中学校は吾川村との共同運営だったため、吾川村でカウント

学校統廃合の流れ
1957(昭和32)年 地区編入のため久喜小学校・加枝小学校を吾川村立へ移管
1963(昭和38)年 高瀬小学校を森小学校へ統合
1974(昭和49)年 小学校再編 別枝・川渡・沢渡・森の4小学校を統合、別府小学校とする
            当面は旧森小学校施設を使用 のち1983(昭和58)年新校舎完成
1976(昭和51)年 中学校再編 別枝・泉川・長者・組合立仁淀の4中学校を統合、仁淀中学校とする
             旧川渡小学校跡地に新設
1986(昭和61)年 泉川小学校を長者小学校へ統合

Thanks 仁淀村教育委員会

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 仁淀村は1954(昭和29)年に長者村と別府村が合併して誕生した。高知市から国道33号線を1時間半ほど走ると、左手に大渡ダムが見えてくるが、その対岸が仁淀村にあたる。当初はもう少し東に細長かったが、久喜・加枝地区を吾川村に編入して現在の村境となった。中心部はダム直下の二股の左手長者川上流に見える森地区で、この長者川に沿っていくつかの集落があり、ダム上流の別枝川沿いにもいくつか集落がある。
 主な産業は林業とお茶や山菜の栽培で、このほか鳥形山に日鉄鉱業の石灰石鉱山があり、立て坑からベルトコンベア(総延長22km)を使って須崎市まで運んでいる。毎年2月に行われる別枝地区の通称「秋葉祭り」は土佐三大祭りとして有名で県内外から見物客がつめかける。
 1955(昭和30)年頃までは他の山間部と同じように木炭や楮・三椏の生産で生計を立てていたが、価格暴落で過疎化が一気に進んだ。南米パラグアイへの移住が奨励され、一家あげての離村が進んだのもこの頃である。2村合併時の人口は8,300人、2002(平成14)年の人口は2,600人ほど。
 鳥形山はその名の通り、かつては鳥に似た美しい山容を誇っていて高知市からもその優雅な姿を眺めることができていた。しかし石灰石の採掘が進むに連れ、山容は変貌しその面影はない。武甲山(埼玉県)とまったく同じ運命を辿っている悲運の山である。
 かつては国鉄バスが吾川村大崎から織合まで乗り入れていた。作者は一度鳥形山への登山をするのに乗った記憶がある。当時は高知〜松山間の急行バスが国鉄のドル箱路線で、大崎はその中継所として池川方面と仁淀方面へのバスの発着所として賑わっていた。既に国鉄はなく、JR四国の中で最後まで残っていた一般道路急行バスも高速道へのシフトにはあらがえず、2003(平成15)年に廃止された。

 ★旧別府村 【小学校】別枝  沢渡  高瀬  森  川渡
          【中学校】別枝  組合立仁淀
 国道が仁淀川北岸(吾川村)を通っていたこともあり、南岸は交通の便がよくなかった。このため旧別府村での産業基盤は非常に弱く、人口流出は急激に進んだようである。なお、高知県で環境庁のレッドデータブックに記載されているツキノワグマ(絶滅危惧個体群)が高知県西部で最後に捕獲(射殺)された記録が残っているのは別枝地区である。

★旧長者村 【小学校】泉川
        【中学校】泉川  長者
 長者という名前の由来は知らないのだが、国道439号線を長者川沿いに遡ると唐突に山の北斜面に大きな集落が見えてくる、そこが長者部落である。以前は鳥形山鉱山を管理する日鉄鉱業関係者が多かったそうだが、昨今の機械化により従業員数は減ったそうである。長者には日鉄鉱業の社宅があり、最近新築されている。長者川は現在も鮎の好漁場として名高く、池川町の安居川と並んで仁淀水系では天然鮎の品質が高い。
 長者部落の上から数キロに星ヶ窪キャンプ場があり、その名の通り星の観察にはもってこいの場所である。地名の由来は隕石が落下してできて窪地だという説がある。戦後10年少々はこの広場で草競馬が行われ、賑わっていたという記録が残っている。