別枝小学校(仁淀村)  べっし
  旧別府村立別枝小学校として設立、合併で仁淀村立に改称後1974(S49)年閉校
 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
在籍児童数 157  134  56 


 愛媛県との県境に近い岩屋川を遡ると別枝地区がある。地形の感覚でも愛媛県の感じがあるが実際に愛媛県の休場地区から行く方が時間的に早い。
 訪問したのは2003(平成15)年9月、急な坂道を山に分け入っていくと割合大きな集落があり、そこがかつての別枝中心地区だった。地元民によると終戦後10年ほどはパチンコ屋があり、料亭もあってそこそこ栄えていたらしい。児童生徒も100人は超えていたそうだ。仁淀川沿いにはもともと集落はほとんどなく、大渡ダム建設に伴う移転問題はそれほど関係なかったらしい。作者の記憶では水没した地区は渓谷になっていて、そこを旧国道が走っていた覚えがある。その話をすると「あこの紅葉もよかったねえ」と言われたが、ここ岩屋川渓谷にはかなわないとの事だ。
 別枝小学校跡は現在かつての敷地内を大規模林道が貫いており、校庭の一部分と校舎の一部分しか残っていない。旧校舎から道を隔てた林道脇にひっそりと記念碑が残っているので、本当に真っ二つに道路が通っているのがよくわかる。集会所も建設されているので私もこの校庭跡がなければ危うく見過ごすところであった(実際通り過ぎかけて校庭らしきものがあったので慌てて急ブレーキを踏んだ)。林業や木炭・養蚕などが主要産業だったため、過疎化は進む一方で児童生徒はほとんどいないそうだ。この奥にもいくつかの家(もはや集落と呼べるほどの数はない)が残っているものの、高齢者ばかり。入院等で住民票は残っていても実際は高知市や県外にいる人も多いそうで、閉じられたままの家も多かった。この数年来、鳥獣による農作物被害が拡大しており、作っても猿か猪に食わすばかりとお年寄りが言う。猿は数年おきに移動を繰り返すようで、この2年ほどは被害が少なくなったそうではある。
 かつてこの地区の山は天然林が残り、豊かな山相だった。環境庁のレッドデータブックに絶滅危惧個体群として記載されている四国のツキノワグマ、現在は四国東部剣山周辺にしか生息が確認されていない。この別枝地区で1961(昭和36)年に射殺された記録があり、これが高知県西部での最後の捕獲記録となっている。1958(昭和33)年に高知営林局の宮崎氏が書いた記録では四国東部と西部併せて100頭はくだらないとある。この西部とは幡多(黒尊)と仁淀川上流域を指すとのことなので、その頃までは確実に生きていたのであろう。昭和の終わり頃までは散発的に目撃情報もあったのでこの地域での最後の個体だったのかもしれない。岩屋川上流の生芋地区で長年林業に携わった人は、ラジオをかけて鈴を鳴らしながら山に入るのは当たり前だったと言うので間違いはないだろう。
左隅の建物が旧校舎

 

校庭跡