泉川小学校/泉川中学校(仁淀村) いずみかわ へき地級1(1978)
旧長者村立泉川小中学校として設立後、合併を経て仁淀村立泉川小中学校
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | |
在籍児童数 | 142 | 129 | 89 | 32 |
在籍生徒数 | 79 | 80 | 56 |
仁淀村役場のある森地区から国道439号線を長者川沿いに遡り、坂道に沿って続く長者の集落を右手に見ながらさらに進むと右手に泉川小中学校跡が見えてくる。かつて酷道と揶揄された439号線だが、この付近は改良工事が進み、国道33号線からずっと2車線である。もっとも泉川小中学校跡からすぐ先の織合集落で2車線は終了するのだが。織合の奥には黒滝鉱山があり長い間銅の採掘が行われていたそうだが、昭和30年代に閉山となり今は黒滝の集落自体が消滅してしまった。
国道439号線から
校庭跡
泉川中学校は1976(昭和51)年の仁淀村中学校再編計画で新設された村立仁淀中学校に統合され、その歴史を閉じた。当初仁淀村の学校再編計画では小学校も長者小学校への統合が予定されていたが、住民の強い反対で撤回された。しかし過疎化は容赦なく進み10年後の1986(昭和61)年、泉川小学校も休校となり明治以来一世紀以上にわたる学舎の灯火は消えた。現在は集落センターとして地域活動に使われている。訪問した前日はあいにくの大雪で、長者の先からはチェーンがないと走れない状態で、作者はスタッドレスを履いていたため難なく通行したが、乗用車を置いて織合に戻るという老人を乗せていくことになった。車中で話を伺うとやはりこの地区も木炭・楮・三椏・林業が落ち込むと同時に人の流出が激しくなり、一気に人口が減ったそうだ。「昔は雪も降るのが当たり前じゃったが今は滅多に降らんきに準備もせん、いかんのう」と申し訳なさそうに話してくれた。