高瀬小学校(仁淀村)  たかせ
  旧別府村立高瀬小学校として設立、合併で仁淀村立に改称され1963(S38)年に閉校
 

  1958(S33) 1963(S38)
在籍児童数 85  21 



 旧別府村地区は愛媛県境に隣接している。国道33号線からは今でこそ大渡ダム湖のすぐ向こうになるが、以前は深い谷で隔てられていた。
 高瀬小学校跡は仁淀川町(旧吾川村)森山でダム湖を渡るか、森の手前で右折してダム湖の南側の坂道をのぼることになる。校舎その他の施設は取り壊されて観光センターとなっていて食事や宿泊ができ、昼食時には賑わっている。
高瀬小学校跡
 訪問は2005(平成17)年9月、眼下には茶霧湖(大渡ダム湖)が広がる展望のよい場所である。もっとも学校があった頃はまだダムは完成していなかった。卒業生の方を探し当てて話を伺うと「断崖絶壁にあった」と言うが、もっともな立地である。今でこそ車で数分の対岸とは深い谷で遮られ、日頃の交流はあまりなかったとか。
 周辺はダム完成時に観光客を当て込んでレストランや喫茶店が建てられたが、今はすべて閉鎖されこの高瀬小学校跡にできた観光センターが唯一の施設となった。そのため平日のお昼時は結構な混雑だとか。もっともここしかないので混雑するというわけでもなく、それなりに良い評判は聞く。校庭跡はそのままグラウンドに流用され、ナイター照明も完備している。草野球なら問題ない広さであるが、山手ではない場外に出たらそのままダム湖一直線である。
 かつて50人は越えていたという児童は現在校区内にゼロとなっている。学校の跡は消えたが、日常的に人の絶えない施設として整備されたのは数少ないケースである。