旧大方町  【廃校小学校】蜷川  加持  湊川  北郷    馬荷小(2006〜)  伊田小(2014〜)   
        【廃校中学校】白田川   
        【休校小中学校】なし     小6中1合計7校
        【現存小学校】上川口  南郷  田の口  入野  三浦
         【現存中学校】大方
        【現存県立高校】大方商業  小5中1高1合計7校
  
学校統廃合の流れ
1971(昭和46)年 白田川中学校を大方中学校に統合
1984(昭和59)年 加持小学校を入野小学校に統合
1990(平成2)年  湊川小学校を南郷小学校に統合
1998(平成10)年 蜷川小学校を上川口小学校に統合
2000(平成12)年 北郷小学校休校
2006(平成18)年 馬荷小学校休校
2012(平成24)年 北郷小学校廃校
2014(平成26)年 伊田小学校休校
2017(平成29)年 馬荷小学校廃校
2019(令和1)年  伊田小学校廃校

参考文献 大方町町史(昭和38年)
Thaks 大方町教育委員会

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 幡多郡大方町は1956(昭和31)に旧大方町と旧白田川村が合併して誕生した。大方町史によると旧白田川村の漁港整備等に伴う起債が重く、住民1人当たりの負担額に換算すると旧大方町の倍近くになっていた。旧白田川村からは白浜地区が佐賀町への編入を希望したが、これも漁業権の問題で難航していた。一方の旧大方町では南部の3地区(田野浦・出口・伊屋)が中村市への編入を希望していた。このうち2地区は事態を重視した旧大方町や高知県の説得で編入を断念したが、最南部の伊屋地区は双海と改称して中村市へ編入された。合併前年の国勢調査では人口13,366人、平成15年では1万5千人を超えているので微増といったところ。しかしながら国道56号線周辺以外、特に北部を中心とした山間部では人口が激減しており、小さい町ながら一極集中が進んでいるのが実情である。主な産業は農業で園芸と花の生産が多い。あとは漁業が中心である。入野の松原は有名であり最近ではここに運動公園も整備された。一時期(といっても30年近く前だが)には南海ホークスがキャンプに訪れたこともある。ホエールウオッチングが盛んで、鯨との遭遇率は高知県内でもここが一番高いそうである。なお、白田川という地名自体も字にはなく明治時代に白浜村・伊田村・上川口村が合併した際に各村から一文字ずつ使ってつけた名称である(前述のようにその後旧白浜村は佐賀町に編入された)。
 学校の統廃合は山間部を中心に進んでいる。山間部を中心とした人口流出が続いているため、緩やかに更なる統廃合は続くのではないかという気がした。2006(平成18)年3月をもって馬荷小学校の休校が決定しており、山間部からは学校が消えることになる。
 
 平成の合併では当初の高知県試案では幡多地域広域合併案(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市・宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市)もしくは東西(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市と宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市とのグループ)2分割案が出ていた。広域合併案はさすがに協議内容が複雑になりすぎて時間的な余裕がないということで流れた。西土佐村は地理的に結びつきの強い十和村・大正町との合併協議を並行するという選択肢も残していたが、ひとまずは東西での合併協議が進んでいた。ところが東グループは庁舎位置を巡って紛糾し、佐賀町と大方町の住民投票によって合併否決となり、この2町の離脱が決まった。結果的に東グループは残った中村市と西土佐町が四万十市になり佐賀町と大方町も黒潮町として発足することになった。いっぽう西グループは土佐清水市の合併協議参加を巡って対立し、三原村が離脱した。残った宿毛市と大月町で合併協議が進められ、合併協定に調印したものの議員定数と選挙区割りで紛糾し大月町議会の否決により白紙となった。