旧土佐山田町 【廃校小学校】岩村  明治  逆川(分)  国見  西又  平山   佐岡
          【廃校中学校】佐岡  土佐山田  山田 
          【廃校高校】鏡野  平山(分)  香南(分)
          【休校小中学校】繁藤小・繁藤中(2013〜)  小8中4高3合計15校
          【現存小学校】舟入  山田  楠目  片地   香長
          【現存中学校】鏡野 
          【現存県立高校】山田  小5中1高1合計7校

学校統廃合の流れ
1948(昭和23)年 8月 天坪村立第三小学校を繁藤小学校に改称
1949(昭和24)年 4月 鏡野高校を山田高校に統合、男女共学化となる
              繁藤小学校穴内分校が国見小学校に独立
1950(昭和25)年??  山田高校香南分校を本校統合
1950(昭和25)年 4月 天坪村立繁藤中学校に独立
1951(昭和26)年    山田高校平山分校を本校統合
1955(昭和30)年 3月 町村合併により繁藤小学校を大豊町に移管
1955(昭和30)年 4月 佐岡中学校を土佐山田中学校に統合
              編入により佐古小学校逆川分校を片地小学校逆川分校に改称
1956(昭和31)年 9月 編入により土佐山田町立繁藤小中学校に改称
1962(昭和37)年    岩村小学校と明治小学校を統合し、舟入小学校に(施設は明治小学校を使用)
1964(昭和39)年 4月 土佐山田中学校と山田中学校を統合、鏡野中学校を新設移転
               国見小学校を繁藤小学校分校に
1970(昭和45)年 7月 国見分校を繁藤小学校に統合
1972(昭和47)年 4月 西又小学校を繁藤小学校に統合
1973(昭和48)年 4月 逆川分校を片地小学校に統合
2005(平成17)年 4月 平山小学校を香長小学校に統合
2013(平成25)年 4月 佐岡小を片地小、繁藤小を香長小、繁藤中を鏡野中にそれぞれ統合
2015(平成27)年 3月 佐岡小学校廃校

記録に残っていないが天坪中学校第三分校は繁藤小学校改称時に繁藤分校に改称されたと思われる

参考文献 土佐山田町史
Thanks 土佐山田町教育委員会

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 土佐山田町は1954(昭和29)年に山田町・明治村・大楠植村・片地村・佐岡村・新改村が合併して誕生した。その後1955(昭和30)年に旧天坪村南地区が編入、また野市町から旧佐古村の逆川・戸板島地区が編入された。さらに1959(昭和34)年に岩村地区が南国市より編入。翌1960(昭和35)年に旧暁霞村の西半分にあたる西又地区が大宮町より編入した。長らくこの体制が続いていたが、1996(平成8)年になって南端に細長く突き出た形になっていた蔵福寺島地区から南国市編入の要望が高まりこれを認可した。学校の統廃合は山間部から始まり、一部平野部でも行われたがこれは至近距離にあった小学校同士が老巧化立て替えの際に統合されたものである。山間部にあった国見分校は穴内ダム完成により住民は皆無、西又分校も過疎化により住民は激減している。
 平成の合併案は物部川流域の香北町・物部村と市制移行を計画し法定協議会の設置後、名称は香美市、すべての協議を終了していた。分村合併で東西に分かれた旧暁霞村はこの合併案通りに進めば、また同じ自治体の枠組みに戻ると思われていたが、香北町・物部村の住民投票・アンケートでこれを否決、肝心の土佐山田町に至っては住民投票が低投票率のために不成立となり、合併案は白紙になった。
 この地域の取材で感じたのは香美市移行へ名目は対等合併となりながら、様々な条件で実質的に土佐山田町が2町村を吸収合併する形になりすぎていた事である。住民投票無効になるほどの低投票率が示す土佐山田町住民の無関心さはそこにあるように思った。特に昭和の大合併後の急激な衰退を目の当たりにしている物部村東部と香北町物部川北岸部では根強い反対を感じられた。

以下太字は2004/8/2付 高知新聞より
「こうほく3町村合併協議会」をつくる香美郡土佐山田町、香北町、物部村で1日、合併の是非を問う住民投票やアンケートの集計が行われた。反対派が物部村57・83%、香北町55・40%となり、宗石教道・物部村長、野島民雄・香北町長とも「民意を受け止めざるを得ない」と、法定合併協議会からの離脱を示唆。協議が白紙となることが事実上決まった。土佐山田町の住民投票は投票率が41・15%にとどまったため、規定により成立せず開票作業は行われなかった。

 県東部では他地域で合併案が難航し法定協議会設置まで至らないケースが相次いだ。唯一法定協議会を立ち上げ、全協議を終了していたこの地域の合併中止は高知県側にも大きな衝撃を与えたようである。それまで一定の距離を置いて静観していた橋本知事が一定介入やむなしの姿勢を打ち出したのも当然であろう。しかし、中身の伴わぬ改革で一方的に財政を締め上げる国の方針は不可解で、住民意思が財政危機よりも地域衰退防止に向いている事を明確に示している。
 その後深刻な財政難もあって再度合併協議が始まり、2006(平成18)年3月1日をもって3町村が合併し「香美市」発足となった。

★旧山田町 【小学校】なし
         【中学校】土佐山田
 旧山田町はJR土佐山田駅を中心とした市街地になり、中学校合併も過疎化ではなく生徒数増加に伴う移転だと考えてよいそうだ。漫画家はらたいらの出身校である県立山田高校もある。

★旧明治村 【小学校】岩村  明治
         【中学校】山田
 旧山田町の南側に位置する。至近距離にあった土佐山田中学校の移転に伴い、統合。同じように至近距離にあった岩村小学校と明治小学校も校舎の老朽化に伴い統合された。交通の便もよく、人口はほとんど減っていない。

★旧大楠植村【小学校】なし
         【中学校】なし
 もともと学校数が少なかったこともあり統合はない。土佐山田町中心街の北東部に位置する。最近は高知工科大学の学生向けアパートが目立つ。

★旧片地村 【小学校】逆川(分)
         【中学校】なし
 逆川地区は元々野市町に属していたが、地理的環境から土佐山田町に編入されている。高知工科大学が設置されたが農地が多く、市街化調整区域の規制があり学生は片地よりも中心部に住むことが多い。

★旧佐岡村 【小学校】佐岡
         【中学校】佐岡
 旧佐岡村は旧片地村の対岸に位置する。JRが四国山脈に向かって高度を稼ぎ出す地点であるが地区内に駅はなく、通過するのみである。佐岡小学校の統合により旧佐岡村には学校がなくなった。

★旧新改村 【小学校】平山
         【中学校】なし
 旧新改村はこれまで学校の統廃合とは無縁であったが平山小学校が2005(平成17)年3月に休校となった。地区内にあるJR新改駅は珍しいスイッチバック方式の駅である。

★旧天坪村 【小学校】国見 繁藤
         【中学校】繁藤
 旧天坪村は昭和の大合併においていったん大豊村(当時)に合併したが、その後住民からの要望で南部の5集落が土佐山田町に編入した。もともと南茂谷以外の4集落は1904(M37)年に瓶岩村(現南国市瓶岩)から天坪村に編入した経緯があった。古老の証言ではある意味で天坪村自体にそれほど未練はなかったらしく、当初から南国市か土佐山田町への編入希望が多かったらしい。

★旧暁霞村 【小学校】西又      暁霞=あかつか
         【中学校】なし
 旧暁霞村は昭和の大合併において一度は旧美良布町と大宮町(現在の香北町西部)を作った。しかし地理的にも経済的にも結びつきの強かった天坪村繁藤地区が土佐山田町へ編入した後に、地元住民の強い要望で旧暁霞村西部の西又および西谷地区が土佐山田町へ編入された。