国見小学校(土佐山田町)  くにみ
  旧天坪村立第三小学校穴内分校として設立、同国見小学校に独立後に合併で土佐山田町立に改称、分校化のあとに1970(S45)年に廃校)

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
児童数 65  18 


 

 国見小学校は天坪村時代に穴内分校として設立されている。尋常小学校から現行教育制度となり天坪村立第三小学校(後に繁藤小学校に改称)穴内分校となった。1949(S24)年4月に天坪村立国見小学校として独立した。1955(S30)年3月に町村合併により大豊村立国見小学校となるが、校区である上穴内地区が土佐山田町へ編入となったために1956(S31)年9月に土佐山田町立国見小学校となった。穴内ダム建設による水没のため1964(昭和39)年に移転、その際繁藤小学校の分校となり6年後には本校に統合されてその歴史を閉じた。

国見小学校跡

 訪問は2005(平成17年3月)。現在では地図を見ても上穴内地区という名前は見あたらない。1964(昭和39)年に完成した穴内ダムのダム湖に水没したためである。このため学校跡の特定がなかなかできず、判明したあとも撮影が難しかった。
 国見小学校跡は穴内ダムの北岸を通る県道が本山町行きと南国市行きに分かれる赤鉄橋の下にある。土佐山田町教育委員会の話では渇水期になると校舎跡が出るということだった。そのため冬季に入ってから何度か管理者の四国電力さんに問い合わせて水位の状況を確認していた。前日「今なら絶対に大丈夫です」という返事があったので、急遽訪問した次第である。ダム管理用の道路を下りるとたしかに土台が見えている。砂場らしき骨組みがあり、こちらは以前聞いた保育園跡であろう。小学校跡は一段下になるようだ。車の轍が残っているが、四国電力の担当者によるとブラックバスの釣り人がボートの上げ下ろしに入ったのだろうということであった。あたり一帯は集落だったそうで、水面下にもいくつかその痕跡が見えている。校区はすべて水没しているため住民はないようで、往事の状況を聞くことはできなかった。

 2014(H26)年2月加筆  穴内ダムの完成が1964(S39)年でその年に分校化されたわけだが、そうなると分校閉校が1970(S45)年なら6年間水没せずにいたのかという指摘をいただいた。たしかに言われてみればその通りで、四国電力に問い合わせたところ、穴内ダム完成が1964(S39)年5月14日→ダム湖湛水開始5月15日→穴内川発電所発電開始7月18日となっているのでおそらくダム完成と同時に水没した可能性が高いとの回答があった。ダム湖自体の満水時期については不明であった。国土交通省国土地理院の空撮写真アーカイブにうまい具合に1967(S42)年撮影の現地写真があったので確認したところ、ダム湖脇を走る県道のすぐ上に学校らしき建物と校庭らしき空き地を確認した。この件はいずれ再調査に出向く必要がある。

 2016(H28)年12月に現地再訪問をして偶然卒業生の方に会うことができ、移転前後の話を伺うことができた(実際にはこの2年近く4回通ったのだが、何故か道路工事や通信工事に行き当たってしまい通行止めを余儀なくされて敗退状態であった)。やはり県道の上にあったのが国見分校となってからの学校跡で間違いがなかった。穴内ダム完成によって国見小学校は水没確定となったがいくらかの住民は残っており、国見分校として移転したがダム完成後は急激に過疎化が進みわずか6年で廃校となったそうである。現在学校跡地にある作業小屋は当時の教員宿舎を改築したものでその奥に校舎の基礎部分は残っていると教えていただいた。

 教員住宅跡

 校舎基礎跡

 学校跡

 石垣跡

 学校自体児童数約10名足らずで始まっており複々式教室が2つと小さな職員室と廊下のみの小さな規模であった。やはり現在は住民皆無となっており、時折山仕事や畑の管理に訪れる方がいるのみだそうである。