旧大野見村 【廃校小学校】大野見南
【廃校中学校】大野見第二
【休校小中学校】大野見北小(2009〜) 小2中1合計3校
【現存小学校】大野見(大野見中央)
【現存中学校】大野見(大野見第一) 小1中1計2校
学校統廃合の流れ
1985(昭和60)年 大野見南小学校と大野見中央小学校を統合、施設は大野見中央小学校をそのまま使用
1987(昭和62)年 大野見第一中学校と大野見第二中学校を統合、施設は大野見第一中学校をそのまま使用
2009(平成21)年 大野見北小学校を大野見小学校に統合
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大野見村は四万十川上流部にある標高250mから1,054mまでの高南台地の一角を占める人口1,600人少々の村である。大河四万十川がほぼ村の中心を南北に貫く形となっている。その歴史は1889(明治22)年の市町村制施行に遡り、この時に大野見郷15ヶ村のうち秋丸・日野地を松葉川村へ分離して残りの13村で大野見村となった。現在に残る大字はこの時の村名である。1950(昭和25)年には4,161人を数えた人口も今では半分以下となっている。古い記録では1743(寛保3)年に記された土佐藩郷村調査書に大野見郷の人口2,351人となっている。
稲作と林業を中心とした一次産業が盛んであったが、構造的な不況には抗えなかった。しかし中山間部には珍しく企業誘致にも成功しており村内には精密機器の部品組立工場が2つ、縫製工場が1つある。このためこの20年間の人口は微減にとどまっている。
学校の統廃合は小中学校各1校の統合が行われている。2006(平成18)年4月の段階で大野見北小学校は14名の在籍となっており、大野見小学校も複式学級があることから現実的な問題として今後統廃合の動きがある可能性は高いのではないかと思っていた。旧中土佐町との合併協議でもその件が話題になっているが、合併に向けて火種を作る必要がないという意見も多く立ち消えとなった。ところが2008年になって地元保護者からの要望があり大野見北小学校は年度いっぱいで休校となり旧大野見村内は小1中1の2校が残るのみとなった。
平成の合併では一時窪川町グループと旧中土佐町との2協議会を立ち上げていたが、結果的に旧中土佐町との合併を選択した。2006(平成18)年1月1日をもって新制中土佐町が発足し、大野見村は消滅した。