大野見北小学校(大野見村=現中土佐町)  おおのみきた   へき地級1(1978)
  大野見中央小学校との統合により2009(H21)年より休校中

  1957(S32) 1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2004(H16)
在籍児童数 263  258      52  13  16 



 旧大野見村役場のある吉野から約6kmほど、県道19号窪川舟戸線を四万十川(渡川)沿いに遡る。寺野地区での県道317号萩中須崎線との分岐手前に郵便局がありそのすぐ右手にあるのが大野見北小学校である。下る。校区は寺野のほかに萩中・大股・下ル川の3地区であった。1876(明治9)年に現在地に隣接する津野神社社殿で始まったのが発端となる。翌年神社前に授業小屋を設置し、正式に大股小学校となっている。その後改称や移転があったものの130年少々の歴史を刻んで休校となった。児童数のピークは1957(昭和32)年の263人で休校時点では統合時に8名。



 訪問は2010(H22)年3月、実は対岸にある大野見第二中学校に一年半ほど前に訪問していたのだがその際写真撮影のために大野見北小学校の敷地内に入る必要があり、小学校に用件を伝えたところ「ウチも今年いっぱいで休校決定しました」と言われ、愕然とした。中土佐町合併時の話では「当面学校は存続」と聞いていたのであるが、地元からの要望が強く休校となったそうである。玄関前には開校百周年記念碑があるが、休校に関する碑やモニュメントは見当たらなかった。



 この地域は思いの外平地が多く、自家消費用の米を作る家が多かったそうである。県内の中山間地域と異なるのは楮三椏の栽培はほとんどなく、炭焼きも主に産業としてではなく自家消費用として行われていたという点。それぐらい林業に依存していた地域だったらしい。学校のある寺野地区は交通の要所であったらしく、現在でも寺野を中心に県道その他で津野町(旧東津野村)舟戸・津野町(旧東津野村)布施ヶ坂・津野町(旧葉山村床鍋)経由須崎市・吉野と車道が分岐している。
 

大野見北小学校校歌
1 緑の山につつまれて つくしのようにすくすくと 伸びるぼくらの北小学校 楽しい学やつくるため 明るくたゆまずはげみ会う
2 大野見川を背にうけて 流れの如く清らかに 育つ私の北小学校 豊かな村を築くため みんなで仲良く助け合う
3 明治九年のむかしより その伝統はゆるぎなく 築くみんなの北小学校 日本の明日を背負うため 教えを胸にみがき合う