大川村    【廃校小学校】船戸  白滝  大北川(分)  大藪  川口
        【廃校中学校】船戸  白滝  川口 
        【休校小中学校】なし  小5中3合計7校
         【現存義務教育学校】大川    小中1合計1校

学校統廃合の歴史
1966(昭和41)年 船戸小学校大北川分校を本校に統合
1971(昭和46)年 船戸中学校・川口中学校・白滝中学校を統合して大川中学校に新設移転
1972(昭和47)年 白滝小学校を船戸小学校に統合
1984(昭和59)年 大藪小学校を川口小学校に統合
2005(平成17)年 川口小学校・船戸小学校・大川中学校を統合して一貫校の大川小中学校に新設移転

Thanks 大川村教育委員会 日本鉱業社史


注:船戸小学校は早明浦ダム完成による水没のため水没移転があるため新旧2ヶ所の場所になる

 大川村は高知県北部の吉野川上流にある面積95平方キロの小さな村である。藩政時代は本川郷と森郷に属していたが、1889(明治22)年に本川郷下分と森郷上分が分かれて発足している。以降昭和の合併でも平成の合併でも合併協議は煮詰まらないまま今日に至っている。1955(昭和30)年に4,076人を数えた人口は激減の一途を辿り、現在では500人少々となっている。この急減には当然理由があって、村内に白滝鉱山という日本鉱業(現ジャパンエナジー)の経営する銅山があり同時期に早明浦ダムの建設工事に関わる人手もたくさんいた。ところが白滝鉱山は1972(昭和47)年に閉山し、早明浦ダムもその前年に完成し人手は不要となった。また村内の森林は多くが住友林業と中江産業の持ち山であったが林業不況も加わるトリプルパンチとなって高知県内でも類を見ない過疎化が進行してしまった。前述のように村内森林の多くを2社が所有しており、手入れはそこそこされているので他の地域ほど森林の荒廃は酷くない。
 学校の統廃合はやはり白滝鉱山の閉山とダム補償による道路整備が一つのきっかけになっている。その時期にいくつかの統合が行われた後はしばらく現状維持が続いていた。しかし過疎化はもうのっぴきならぬ状態となり、小中一貫の義務教育学校として大川小中学校が新設され、村内1校体制となった。校地県内外から山村留学生を受け入れ、児童生徒数の安定化を図っている。