大藪小学校(大川村)  おおやぶ   へき地級2(1978)
  1984(昭和59)年に川口小学校に統合

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53)
生徒数 41  30  21 


 

 訪問したのは2007(平成19)年11月、本川村(現いの町)葛原から国道194号線と別れて県道を東進する。休校中の本川小学校のすぐ先で左折して林道をぐいぐい上がる。比較的樹木が多いので恐怖心はないが、実際にはかなりの断崖を走っている。高藪への分岐を通り過ぎると大川村に入り、やがて林道下に小さなピンク色の校舎と運動場があり、そこが大藪小学校跡である。県道からは4kmほど、林道とはいえ舗装はされている。ここは珍しく校舎を取り壊さずに左手に見える集会所が建てられている。
 大藪小学校校区は小麦畝・小北川・下切・大藪の4集落、戦後の最盛期には60人ほどいた児童は現在皆無。最後の卒業生は一つ上の兄弟とずっと机を並べていたそうである。その児童が卒業してから休校となったが、地元の意向でまたの再開を願って廃校とはせずしばらくは休校となっていた。しかしとうとう次の入学生は現れず、1994(平成6)年に廃校となった。現在のところ校区内で最後に生まれた子供は当年35歳になる大藪小学校最後の卒業生である。
 戦前に住友電力が川口にある高藪発電所を建設した際には大藪も人の往来でにぎわっていたという。当時は同じ住友系列だった別子銅山から四国山地の尾根まで索道を設置し、建設資材や生活物資を小麦畝を通って木馬で降ろしていたそうだ。古老によると戦前には70人を越える児童がいたらしい。吉野川対岸にも廃屋がいくつか見えるがこれが下切、未だに車道がなく県道から30分は歩かなければいけない家もある。高藪も林道があるものの自宅前まで車が入れるようになったのはこの20年ほどという家が多い。ここでは髪を切るにも土佐町まで出るしかない、車を運転できない場合はまずタクシーを土佐町から呼ぶことから始まる。その往復料金だけで2万円を越える、つまり散髪をするというだけで3万円という出費を強いられるのである。病院は役場のある小松に診療所があり、週に2回送迎車があるので時間はかかるが費用はたいしたことがないらしい。日常物資は農協や民間の移動販売車が来るのでそれで間に合うという。電力も人も都会に出て行き、主産業だった林業は壊滅状態となっている。

 平家平登山のために2012年1月横を通ったら木造校舎は取り壊されてなくなっていた。