白滝小中学校(大川村)  しらたき
  白滝鉱山閉鎖に伴い中学校は1971(S46)年、小学校は1972(S47)年に廃校

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
児童数 393 364  267 
生徒数 158 218  111 



 

 最初の訪問は2008(平成20)年12月、大川村役場のすぐ西で県道6号高知伊予三島線を北上する。昨年この時期に大北川分校の訪問で通った道である。途中で右手に折れて急な坂道を駆け上ると左手の高台に白滝小中学校跡がある。開校以来1,726名の卒業生を送り出した白滝小中学校であるが、鉱石枯渇による白滝鉱山閉山と同時にその役目を終えた。高知県では唯一の鉱山閉山による離村廃校である。廃校後しばらく放置され荒れ果てていたそうだが、1986(S61)年以降は(社)大川村ふるさと公社の経営する「自然王国白滝の里」という宿泊施設となっており、この看板を目印にすれば容易にたどり着くことができる。
 白滝小中学校の歴史は1916(大正5)年に設立された大川第三尋常高等小学校に遡る。学制改革を経て白滝小学校と白滝中学校の併設校となった。校区は白滝鉱山のあった朝谷地区でほぼ100%鉱山関係者の子弟が通う学校であった。白滝鉱山は銅の産出が300年前の江戸時代から行われていた優良鉱山で、大正時代には掘り出された銅が四国山地と法皇山地の二つの山嶺を越えて索道によって伊予三島市(現四国中央市)から船積みされていた。精錬所はなく、大分県佐賀関にある精錬所まで輸送されていた。1919(T8)年に日本鉱業(現JXホールディングス)の前身である久原鉱業に経営が移り、ここから近代鉱山として大きな発展を遂げることになった。1928(S3)年に久原鉱業の久原房之助社長が政界進出とともに実業界から引退、久原鉱業は日本産業と改称され白滝鉱山の経営も日本産業に移管された。その後日本産業の鉱山部門が日本鉱業となり、戦前の財閥の一角を占めた日産コンツェルンの源流となった。一時期は富岡村(池川町=現仁淀川町)の安居銅山の経営も行い、白滝から人員を派遣していたこともある。戦後も日本鉱業の経営が続き、最盛期には417戸約2,000人が居住していた白滝鉱山には映画館・料亭・遊技場・診療所など生活に必要な施設設備はすべて完備されていた。なお閉山直前に大火事が発生し、かなりの施設建物が焼け落ちている。
 二度目の訪問は2014(H26)年2月、以下の詳細な状況を聞くこととなった。日本鉱業からは従業員の子弟が学校卒業後に高知市もしくは伊予三島市の高等学校へ進学する際には費用の援助があったという。白滝地区だけは高校校区が高知市内となっており、高知市内に無償の学生寮もあり、手厚い援助が行われたいたらしい。簡単に言うと県立高校への進学が高知市及び周辺学区となって、他の大川村内とは別扱いということである。これが日本鉱業の企業努力による理由なのか地域的な理由なのかは不明だが、おそらく前者に近いのではないかと思われる。未確認だが伊予三島周辺高校に関しても同様に学区内になっていた可能性が高い。
 前述のように1986(S61)年に鉱山跡地の管理を主な目的として(社)大川村ふるさと公社が設立され、白滝小中学校跡を改装して様々な事業を行っている。鉱山跡地一帯は高知県と大川村が折半で日本鉱業から購入し、その後高知県購入分は大川村に無償譲渡(実質的に1/2補助金)されている。ただし鉱山の廃棄物や鉱毒の処理は現在でも日本鉱業が担当しており、何か問題があった際には出向いてくるそうである。
 現在の公社の主な事業は跡地管理以外に大川村主催の山村留学留学生の受入と特産はちきん地鶏の飼育管理などがある。山村留学は公社設立の翌年1987(S62)年から始まり、現在までの長期留学生受入は延べ169人となっている。長期受入は小学校5年生〜中学校2年生までで、在籍は小学校5年生から中学校3年生までとなる。白滝小中学校を改造して定員15人の留学センターがあり、2014(H26)年1月時点で12名(児童2名生徒10名)が大川小中学校へ通学している。以前は里親制度があって、白滝と交互に住む形になっていたが高齢化のため廃止されたそうである。山村留学制度には短期受入もあり、こちらは2泊3日もしくは4泊5日でだいたい年間60人前後の受け入れがある。外には夏休み期間を利用して高松市内の小学校が宿泊学習で利用したり、高知県内からのスポーツ合宿もある。おおむね年間の利用者数は8,000人前後、冬場は積雪凍結が多いのでなかなか利用者がいないそうである。
 最初の訪問時点では校区内には3世帯5人と聞いたが、その後村営住宅の建設もあって幼児もいる状態である。謝肉祭で有名な大川黒牛の飼育も行われており、廃鉱跡にありがちな無人の地とはなっていないのが救いである。

往事の白滝小中学校(撮影時期不明)

 閉山直後の白滝小中学校

 2014年現在の白滝小中学校付近