川口小中学校(大川村)  かわぐち   へき地級1(1978)
  川口中学校は1971(昭和46)年に大川中学校に統合、川口小学校は2005(H17)年に大川小中学校に統合

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2002(H14)
児童数 152  144  127  31  10 
生徒数 69  85  60       



 川口小中学校のあった上小南地区へは国道194号線から県道17号線経由か大豊ICから国道439号線経由県道17号線が主なルートである。他にも大川村へのルートはいくつかあるのだが、上小南地区へは県道17号線しかないのでここでは省略する。東西どちらから来ても大きなカーブの対岸に学校跡が見えるのですぐわかる。

 

 訪問したのは2011(平成23)年11月、本川村(現いの町)葛原から国道194号線と別れて県道を東進する。国道分岐点から10分少々走り、吉野川を対岸へと渡る。手前にあるのは住友共同電力高藪発電所で、川口小中学校へはさらにぐるりと迂回して下りていく形になる。



 川口小学校の歴史は1894(明治27)年に大川第二尋常小学校として始まり、1947(昭和22)年に川口中学校併設となった。最盛期には150人を超える児童生徒が在籍していたらしいが、まず中学校が1971(S46)年に統合された。小学校は山向こうにあった大藪小学校を1984(S59)年に統合したがその後も児童数が減り続け、2005(H17)年に新設一貫校の大川小中学校に統合された。この際、休校とはならずに即座に廃校手続きがとられた。手元にあるS53年発行の高知県教職員名簿によると在籍児童31名、当時はまだ存続していた大藪小学校が在籍児童4名となっている。
 1930(S5)年に竣工した高藪発電所の工事があった頃はその作業者の家族もいてずいぶん賑わっていたそうである。以前大藪小学校訪問時に聞いた話では同じ住友系列だった別子銅山から四国山地の尾根まで索道を設置し、建設資材や生活物資を小麦畝を通って木馬で降ろしていたそうだ。発電設備は川口にあるが取水口(堰)は本川村高藪にあるので高藪発電所というのが正式名称。川口周辺には以前は診療所・派出所・郵便局・旅館もあったらしいが、現在は簡易郵便局が残るのみである。発電所の保守要員も交通事情の改善と機器の高性能化で新居浜市から通うようになり、地区から引き上げてしまった。周囲の山林は住友林業と中江産業という大手林業会社の持ち山であるが、ともに林業不振と効率化で大幅に仕事が減って雇用の対象がなくなってしまった。
 

 木造校舎時代の川口小中学校


川口小学校校歌

よもにそびゆるやまやまに いまれいめいはおとづれぬ
かわもをとざすあさもやに ひかりはいまぞさしいりぬ