旧窪川町  【廃校小学校】松葉川山  桧生原  丸山  志和  家地川
         【廃校中学校】仁井田  松葉川  東又  志和  川口(窪川第二) 窪川(窪川第一) 組合立高南
        【休校小中学校】若井川小(2011〜)  口神ノ川小(2012〜)  興津中(2021〜)  興津小(2024〜) 小8中8合計16校
        【現存小学校】仁井田  影野  七里  米奥  窪川  川口  東又  
        【現存中学校】窪川  
        【現存県立高校】窪川  小7中1高1合計9校

注:旧窪川中学校は統合時に新築移転、その際校歌・校章・制服も変更されているため廃校と見なした

学校統廃合の流れ
1948(昭和23)年 組合立高南中学校廃校
1974(昭和49)年 仁井田・松葉川・東又・志和・川口・旧窪川中学校を廃校、新設窪川中学校に統合
            松葉川山小学校を米奥小学校へ統合
1977(昭和52)年 檜生原小学校を川口小学校へ統合
2011(平成23)年 志和小→東又小 若井川小→窪川小 家地川小→北の川小(旧大正町)にそれぞれ統合して休校
2012(平成24)年 丸山小・口神ノ川小を窪川小に統合して休校
2014(平成26)年 3月いっぱいで丸山小・志和小廃校
2020(令和2)年  家地川小廃校
2021(令和3)年  興津中学校休校
2024(令和6)年  興津小学校休校

今後の統合計画
2023年度     興津小学校を東又小学校に統合
2012年度以降  米奥小→七里小 川口小→窪川小 影野小→仁井田小にそれぞれ統合
          
    
Thanks 窪川町教育委員会・四万十町教育委員会

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 窪川町は1955(昭和30)年に旧窪川町・松葉川村・仁井田村・東又村・興津村が合併して誕生した。なおそれ以前の1947(昭和22)年に旧大正町折合地区を旧窪川町に編入した経緯がある。当時は折合に営林署の事業所があり、活況を呈していたようであるが、元々は下流の川口からトロッコ列車が引かれるなど生活交流は旧窪川町を起点としていたため編入されたそうだ。
 この地域の合併論議は複雑で、大野見村と窪川町は複数の合併協議会に加わっている。鍵を握るのはやはりこの地域の中心となる窪川町の動向であろう。高知県中央部と幡多地域の中間に属し、高南地域として国や県の出先機関を要してきたが近年はその施設の統廃合が進み、地盤沈下の傾向が著しい。昨今の三位一体改革の中でどう生き残っていくか、方向性を確実に示さねばならないだろう。2005(平成17)年になって住民投票により大正町と十和村との合併推進が決まり、大野見村との合併はなくなり四万十川下流の大正町と十和村との合併協議を進めることになった。2006(平成18)年3月に大正町・十和村と合併し、四万十町が誕生した。
 窪川町発足時の取り決めであったらしく学校の統廃合は緩やかに行われている。中学校統合は旧町村各地に終戦後設置された中学校が老朽化したため、交通事情の改善された地区の学校を統合した側面が強い。桧生原小学校は営林事業所の撤退に伴う児童数激減によるもの。しかし少子化と過疎化は確実に進行しており、2007年5月に四万十町教育委員会が「四万十町学校適正規模配置案」をとりまとめ、その後の経緯が注目されていたが2008年9月に統合計画が公表された。それによると旧窪川町内の統廃合は現状の小13中2から小5中1に激減する。なお家地川小学校は地理的理由から旧大正町の北ノ川小学校に統合される予定である。

 
★旧窪川町 【小学校】桧生原  丸山
         【中学校】窪川(窪川第一) 川口(窪川第二) 組合立高南
 折合地区にあった営林署事業所が廃止されて急激に人口が減ったため檜生原小学校が下流の川口小学校に統合された。町内の中学校統合に伴い、窪川中学校(旧窪川第一中学校)は新設移転となり校歌・校章・制服も変更されている事から当サイトでは廃校扱いとした。川口小学校に併設されていた川口中学校(旧窪川第二中学校)が窪川中学校に統合されている。現行教育制度発足直後には東川角に組合立高南中学校があったがわずか2年で閉校になっている。

★旧松葉川村【小学校】松葉川山
         【中学校】松葉川
 四万十川支流の松葉川沿いにあったが、国道とも鉄道とも離れていたため林業の衰退とともに急速に寂れた。上流部にある松葉川温泉といえばかつて県内でも名高い存在であった。近年は各地で温泉ができたため、やや苦戦しているとも聞くが渓流沿いに瀟洒なホテルが建っている。

★旧仁井田村【小学校】  
         【中学校】仁井田
 高知県内屈指の仁井田米というブランド米の産地である。合併後も少子化による児童生徒の減少があったものの、他地区ほどの急激な過疎化は進んでいない。旧村の中心を国道と鉄道が走るという至便性も有利に働いたようである。

★旧東又村 【小学校】志和
         【中学校】東又  志和

★旧興津村 【小学校】興津
         【中学校】興津