旧佐賀町  【廃校小学校】
        【廃校中学校】伊与喜  拳ノ川 
        【休校小中学校】鈴小(2005〜)   伊与喜小(2023〜) 小2中2合計4校
         【現存小学校】拳ノ川  伊与喜  佐賀
        【現存中学校】佐賀  小3中1合計5校
  
学校統廃合の流れ
1967(昭和42)年 伊与喜・拳ノ川の2中学校を佐賀中学校に統合
2005(平成17)年 鈴小学校休校
2023(令和5)年  伊与喜小学校休校

Thanks 佐賀町教育委員会 伊与喜小学校

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 幡多郡佐賀町はもともと15世紀中頃から伊与喜郷と呼ばれていた。その後明治政府の市町村公布により佐賀村となったあと、1940(昭和15)年に町政施行となった。昭和の大合併では1957年(昭和32年)に旧白田川村白浜地区を吸収合併したのみである。日本有数の漁獲高を誇る鰹船が所属する漁業の町として有名である。しかし町の東半分の海岸部には地形的な問題でほとんど集落がないうえに、内陸部では林業不振により急速な過疎化が進行している。頼みの綱の漁業も遠洋漁業が中心であり、沿岸漁業は価格低迷にあえいでいる。

 平成の合併では当初の高知県試案では幡多地域広域合併案(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市・宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市)もしくは東西(佐賀町・大方町・西土佐村・中村市と宿毛市・三原村・大月町・土佐清水市とのグループ)2分割案が出ていた。広域合併案はさすがに協議内容が複雑になりすぎて時間的な余裕がないということで流れた。西土佐村は地理的に結びつきの強い十和村・大正町との合併協議を並行するという選択肢も残していたが、ひとまずは東西での合併協議が進んでいた。ところが東グループは庁舎位置を巡って紛糾し、佐賀町と大方町の住民投票によって合併否決となり、この2町の離脱が決まった。結果的に東グループは残った中村市と西土佐町が四万十市になり佐賀町と大方町も黒潮町として発足することになった。いっぽう西グループは土佐清水市の合併協議参加を巡って対立し、三原村が離脱した。残った宿毛市と大月町で合併協議が進められ、合併協定に調印したものの議員定数と選挙区割りで紛糾し大月町議会の否決により白紙となった。