安田町 【廃校小学校】小川 中山
【廃校中学校】中山
【休校小中学校】なし 小2中1合計3校
【現存小学校】安田
【現存中学校】安田 小1中1合計2校
学校統廃合の流れ
1981(昭和56)年 3月 小川小学校を中山小学校に統合
2007(平成19)年 3月 中山小中学校を安田小中学校にそれぞれ統合
Thanks 安田町教育委員会
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安田町は安芸市の東側にある南北に細長い町である。国道55号線を走るとあっという間に通り過ぎてしまうが、安田川沿いに走ると思いの外距離があることがわかる。最盛期の1955(昭和30)年に6,677人いた人口は現在4千人を割っている。児童生徒数は1,300人強から300人足らずになっている。国道55号線周辺は高知市や安芸市に通勤する人もいてそれほど人口が減っていないようだが、安田川を遡った山間部での過疎化が著しい。
学校の統廃合はもともとの学校数が少なかった事もあって小川小学校の廃校のみにとどまっていた。ところが耐震補強工事に伴う財政支出が引き金となり、2006年に唐突に中山小中学校の統合が決まった形になった。統合時の小学校の児童数31人と中学校の11人というのは他市町村の例からもまだ早すぎるという意見が出るのはやむを得ないだろう。この統合に関しては地域の反感を招きしこりを残す結果となったようだ。休校式にはほとんどの父兄が参加を拒否するという事態になった。
平成の合併では紆余曲折と波乱に終始することとなった。まず最初2002(平成14)年夏に東洋町・田野町・安田町・北川村・馬路村・安芸市・芸西村との8町村で協議を開始した。室戸市のみを外したうえに広域すぎる協議ではないかという懸念があったがまず香南6町村とのかけもちだった芸西村が離脱、これは地域的な問題もありやむを得なかった。続いて2003年5月までに安芸市・馬路村・東洋町が離脱、わずか半年で4町村になってしまった。東洋町からは協議継続の要請があったが拒否する形になっている。残りの4町村でまとまるかに思われたが、2004(平成16)年6月に田野町のアンケートで反対多数となり、田野町が離脱。その後残った3町村で合併協議を進め、調印までこぎつけたものの最終的には北川村の住民アンケートで否決されたことが原因で合併には至らなかった。
この地域の合併破綻は少々予想外という意見も少なくない。田野町・安田町・奈半利町・馬路村・北川村は広域行政組合を運営し、消防やゴミ・し尿処理などを行っている。経済的にも馬路・北川で切り出した木材を奈半利・田野・安田で製材加工し、両村への県道・国道はいずれも奈半利川か安田川沿いに通じるなど様々な面で結びつきが強い。この面では高吾北5ヶ町村(佐川町・越知町・池川町・仁淀村・吾川村)と似通った部分があり、当初はこの2地区は順調に合併が進む思われていた。ところがいずれも破綻し、広域行政と合併は別物という流れが強くなる形となった。一方的に財政を締め付けて合併を促しながら、最終的には傍観者であろうとする国政はもう少し市町村の意見を反映した政策をとるべきである。