中山小中学校(安田町)  なかやま   へき地級1(1978)
  2007(H19)年に廃校
 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2004(H16) 2007(H19)
児童数 159  163  92  41  34  30  31 
生徒数 106 113  110  47  24 16  11 


 中山小中学校へは安田町中心部から馬路村方面へ向かって県道12号安田東洋線を走る。安田川沿いに国道分岐点から5km少々遡ると右手対岸に学校跡が見えてくる。学校跡へ渡るのには上流と下流2ヶ所に橋があるので通り過ぎても大丈夫である。


 
 訪問は2009(平成21年)2月、安田川を遡るのは約4年前に少し上流にある小川小学校跡を訪問して以来となる。学校の歴史は1897(明治30)年に中山村立中山尋常小学校として誕生している。その後第二次大戦中の1943(昭和18)年に中山村が安田村と合併したため安田町立となり、教育制度改革で中山小中学校の併設となった。1981(昭和56)年には小川小学校を統合しており、2007(平成19)年3月の中山小中学校閉校によって旧中山村地区からは学校が消えた。なお中山小中学校は閉校即廃校手続きがとられている。
 新聞報道などで報じられていたのだがこの中山小中学校の閉校には地元から強い反対意見が出ていた。元々閉校の発表が町議会で唐突に出たらしく(正確に言うと執行部がいきなり議会提案、議員も寝耳に水だったらしい)、地元の猛反発を招いていた。通常義務教育に関わる公立学校の統合については地方自治や教育関係の法令には手順指示がなく、各自治体の裁量に任されてはいる。とはいえ、地元からの要望か教育委員会側から打診(この場合も今後の児童数予測をそれなりに算出する)してお互いに話し合うというのが一般的というか常識であろう。完全にその手間を省いたのか無視したのか、とにかく何度か話し合いも行われたそうであるが、結局安田町執行部が押し切る形になったそうである。このため閉校式への出席を拒否する住民が相当数に上ったと当時の新聞記事にある。何人かの住民に話を聞いたが、とりあえず終わったことではあるが今でも心の中のしこりになっていると言われた。
 閉校時の生徒数は小学校31名中学校11名、訪問時点での校区内児童生徒数は小学生29名中学生12名(ただしこのうち小学生2名は閉校後に学校脇にある町営住宅に引っ越した家族のため中山小学校出身ではない)。スクールバスが県道沿いを往復するので児童生徒は県道まで出ての通学となっている。 



 校訓は「創造性・表現力・自立心」と校庭脇の石碑に刻まれている。正面玄関脇には学校跡記念碑が残されており、今までの歴史が刻まれている。地区内は林業が盛んで、独立した中山森林組合が今も残っている。学校前の道路は森林鉄道跡で、安田川流域から切り出された材木の運搬に使われていた。森林鉄道は馬路村まで続いており、高知県内でも指折りの出荷量を誇っていた地域である。今地区内での林業は細々と行われている程度で往事の面影は感じられない。