小川小学校(安田町)  おがわ   へき地級2(1978)
  1981(昭和56)年3月に廃校
 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53)
児童数 58  69  39 


 安田町中心部から馬路村方面へ向かって県道12号安田東洋線を走る。鮎の好漁場として名高い安田川を見ながら途中の対岸に中山小中学校を見て、9kmほど進んで左折して支流に入ったすぐ先に小川小学校跡がある。安田川の西岸は前述の県道が走っているが、東岸は主に森林鉄道軌道跡を利用したサイクリングロードになっている。サイクリングロードの上流部の終点には赤い鉄橋がかかり県道に渡る。ここからは県道が森林鉄道軌道跡を辿るが、小川小学校跡はその手前で左折になる。

 小川小学校跡
 
訪問は2005(平成17年)5月、この地を訪れるのはかれこれ25年ぶりになる。安田町中心部は国道55号線沿いにあるのでそこそこ通る機会があるのだが、こちらまで入る機会はなかった。25年前は自転車で徳島県側から山越えし、当時魚梁瀬にあったユースホステルに泊まってサイクリングロードを走っている。山越えの林道は土砂崩れのために車両通行止めになっており、何カ所か担いで乗り越えた記憶がある。林道は今も残っているがユースホステルは既に廃業していた。
 小川地区は新安田文化史によると源平合戦後に移り住んだ主従約10名の開拓から始まっている。以降の織豊・江戸の各時代に残る地検帳等の記録では概ね120〜150人程度の住民がいたもよう。明治以降は中山村の大字であったが、第二次世界大戦中の敗色濃い1943(昭和18)年に安田村と合併したために安田町となった。小川小学校の歴史は1899(明治32)年に始まっているが、実際にはそれ以前に設立された船倉小学校が前身である。正確な設立時期が不明だが、少し下流の船倉地区にあった学校が移転したのが小川小学校の開設とされている。その後上記の合併を経て安田町立となり、ここで80年余の歴史を刻んでその時を止めた。
 校舎跡はJAが倉庫代わりに使っているそうで、体育館は改修されて生活センターになっている。地区内は林業が主な収入源であったが、木材価格の下落で一家が暮らすことが難しくなり離村が相次いだ。現在地区内に児童生徒は1人もいない、老人ばかりが残ることになっている。今では60人ほどになり、集落も存続が危うくなり自治会も何度か併合されたそうである。