本山町    【廃校小学校】帰全  西部(大河内){注1}  白髪  木能津  済美  沢ヶ内(吉野北部) 
        【廃校中学校】白髪  西部(大河内){注1}  済美  本山  吉野
        【休校小中学校】なし  小5中4合計9校
         【現存小学校】本山  吉野(吉野中央)
        【現存中学校】嶺北  
        【現存県立高校】嶺北  小2中1高1合計4校
{注1}西部小中学校は分町合併により本山町から土佐町へ編入改称した経緯があるため土佐町で紹介予定

学校統廃合の歴史
1966(昭和41)年 木能津小学校・帰全小学校を本山小学校に統合
1971(昭和46)年 白髪小中学校を本山小中学校にそれぞれ統合
1978(昭和53)年 済美小学校を沢ヶ内小学校に統合
            済美中学校を吉野中学校に統合
2004(平成15)年 沢ヶ内小学校を吉野小学校に統合
2007(平成19)年 吉野中学校・本山中学校を新設の組合立嶺北中学校に統合

  町村合併に伴う校名変更 1955(昭和30)年 吉野中央小学校→吉野小学校 吉野北部小学校→沢ヶ内小学校

 本山町は1955(昭和30)年に旧本山町と旧吉野村が合併して誕生している。1961(昭和36)年に西部5部落(大渕、古味、井尻、下川、上津川)が分離して土佐町へ編入され、現在の状態となった。合併時に8,000人を越えていた人口は減少を続け、2005年(平成17年)には4,374人となった。総面積の約9割を急傾斜地が占める典型的な中山間自治体である。中心部を東西に貫く形で流れる吉野川に沿って南北にいくつかの谷筋が伸びているが、特に北部(左岸)での過疎化が著しい。
 学校の統廃合は1960年代から70年代にかけて行われたあと途絶えていたが、近年再び活発になり遂に1中2小になった。ただし本山中学校の廃校は過疎化ではなく中高一貫教育として県立嶺北高校に新設された組合立嶺北中学校への移管の意味合いが強い。

 平成の合併では吉野川流域の大豊町・土佐町・大川村・本川村との5ヶ町村合併が当初の案であった。しかし本川村が国道194号線を通じて結びつきの強い伊野町グループとの合併を選択し、大豊町も早々に単独自立を宣言し離脱した。消防やゴミ処理などでの広域事務組合の運営と町村合併は別物という図式はここでも明確となった。現在次の合併案として高知市との広域合併が高知県から示されているが、あまりにも広域すぎてどこも消極的である。