斉美小中学校(本山町)  さいみ
  1978(昭和53)年に沢ヶ内小・吉野中に統合、現在は吉野小・嶺北中に再統合
   

  1957(S32) 1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53)統合時 
児童数 38  43  28  13  10 
生徒数 27 38  16  26  10 


 

 斉美小中学校跡のある冬ノ瀬地区は南北に延びた本山町の一番西側の谷筋にあたる汗見川を遡る。本山警察署から約1kmほど西へR439を走り、土佐本山橋で吉野川を渡る。すぐ先で県道263号田井大瀬線に合流(まず気がつかないと思う)し、さらに1kmほどで「坂P・四国中央(伊予三島)」の看板があるがこれが県道264号坂P吉野線の分岐である。右折して途中沢ヶ内小学校跡を見ながら汗見川を遡ること11kmで冬ノ瀬地区に到着する。斉美小中学校の跡地は「白髪山ふれあいの村休養センター」となっており、県道右手にあるのですぐわかる。なお看板に四国中央(伊予三島)とあるが県道はその手前の坂Pまでで、その先は一応舗装されているが林道となっている。

斉美小中学校校舎跡


 校庭跡

 訪問は2013(H25)年10月、校舎横の標高が412mとなっている。以前は営林署事業所があったためあちこちに空き地が目立つ。校庭脇で草むしりをしていた方に話を伺うと、学校を挟んだ県道下には20軒足らずの営林署社宅があったそうだ。川向こうにも社宅があって全部で40〜50軒はあったらしい。先に引き上げ閉鎖となった南国市黒滝の営林署事業所からかなりの人数が移ってきたそうで300人近くはいたんじゃないかと言う。商店だけで3軒、料理屋もあったそうである。
 ピーク時の児童生徒数は1958(S33)年で児童43人生徒38人の記録が残っている。1978(S53)年3月の統合時点でも児童10人生徒10人、翌月からスクールバスで沢ヶ内小学校・吉野中学校へと通ったが両校とも廃校となり、現在の統合先は吉野小学校・嶺北中学校となっている。校区は冬ノ瀬・七戸・坂P・桑ノ川、このうち桑ノ川は既に無人となっている。2010(H22)年の時点で校区内住民は20名、当然ながら児童生徒はゼロである。
 この地区も他の中山間部と同様に林業・炭焼き・楮三椏が生活の糧であった。平地が少ないので水田はほとんどなく、1960年代前半までは焼き畑農業で雑穀を作っていたが前述のように営林事業所があったため、農業自体は自家栽培農園の域を出るほどの規模ではなかったそうである。現在は前述の空き地にテントサイトを作っており、汗見川キャンプ場として売り出しているらしい。