芳川小学校(大正町=現四万十町)  よしかわ
  1969(S44)年廃校

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
在籍児童数 40  84  29 



 芳川小学校跡へは旧大正町中心部の田野々からだと国道439号線を檮原川沿いに北上し、途中で支流の芳川川に沿って東へ入り込む。国道から4kmほどで北から流れる芳川川と東から流れる宮の谷川に別れるが、その分岐点の左に集会所が見えそこが学校跡である。

芳川小学校跡

 訪問は2009(平成21)年の2月、国道分岐から約5分で左手に一目で学校跡とわかる芳川集会所が見えてきた。廃校から40年経過しているが、鉄棒なども残っており手入れの行き届いた校庭跡である。1963(昭和38)年には89名、廃校前年の1968(昭和43)年には26名の児童がいた記録が残っている。地元の方によると1950年代には間違いなく100名を越えていたという。
 学校周辺はわずかながら平地があり豆や米を中心とした自家用の農作物を栽培し、足りない分を炭焼きと林業での現金収入で補っていた。この生活サイクルが崩れた結果地区から人がいなくなった、おなじみの構図である。この地域では楮・三椏の栽培がほとんどなかったので仁淀川流域などに比べると過疎化が早く進んだ。結果としては10年早いかどうかの違いだけではある。