三原小学校芳井分校(三原村)  よしい    へき地級2(1975)
  三原村立三原小学校分校として設立、1977(S52)年南分校へ統合

 1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1973(S48) 1977(S52)
児童数  25 16 10 5 2

 芳井分校跡のある芳井地区は三原村南東部にあり、下ノ加江川の蛇行した流れに沿った地区である。村中心地よりも下ノ加江に出る方が距離的にも時間的にも近い。このため古くから下ノ加江(昭和の大合併まで下ノ加江村、以降土佐清水市)との結びつきが強かったそうである。

正門跡

 訪問は2008(平成20)年の6月、下ノ加江から県道21号線を走る。最初の2kmほどは2車線だったがすぐに狭い道が下ノ加江川に沿ってくねくねと続くようになった。途中は結構な崖っぷちの状態で高度を感じながら先に進む。三原村の標識を見ながら進むと芳井の集落が見えてきた。学校跡らしきものがわからないので農作業をしている老人に聞くと少し戻って左に入るコンクリートの道の行き止まりが学校跡だと教えてくれた。一昨年までは何とか校舎が残っていたらしいが、台風の後崩壊したそうである。
崩壊した屋根が見える
 教わったように行くとたしかにコンクリートの道があったので入るとすぐ先が学校跡であった。ちょうど鶴見橋と芳井橋の中間ぐらいにあたる。校庭は草ぼうぼうでその先に崩壊した建物が2つ屋根を覗かしていた。雨上がり直後だったのでさすがにマムシが怖く(先ほどの老人にも注意された)、建物の確認まではしなかった。芳井分校は1977(S52)年に本校ではなく、南分校に統合された。3年後の1980(S55)年には残っていた村内の3分校がすべて本校の三原小学校に統合されている。地区内では米作と林業・炭焼きが主な生活の糧であった。分校というだけあって児童数は最盛期でも10名少々だったそうである。現在地区内の児童数はゼロとなっている。
在りし日の芳井分校(撮影時期不明)