柳野小学校(いの町=旧吾北村)  やなぎの
  旧小川村立柳野小学校として設立、合併で吾北村立に改称後1976(昭和51)年に閉校 
    

1955(S30) 1963(S38) 1968(S43) 1973(S48)
児童数 92 68 77 36



 柳野小学校跡
 

 柳野小学校跡は国道439号線の旧吾北村最西端の柳野集落の真ん中にある。つい数年前までは乗用車同士の離合も困難な狭い国道だったが、この数年で一気に改良されている。柳野小学校の歴史は1875(明治8)年の柳野尋常小学校設立に遡る。ほぼ一世紀に渡る時を刻んで1976(昭和51)年に旧小川村の4小学校全統合に伴い、廃校となった。
 江戸時代は山向こうの安居土居から大峠を経て庄屋街道と呼ばれる往還が高知城下まで続いていた。当時は安居土居に番所が置かれており、その連絡道としてあるいは伊予への間道として利用されていた。現在でも柳野から谷沿いに往還がはっきりと残っており、大峠まで行くことはさほど難しくはない。大峠から先も山腹を注意してみれば緩やかに庄屋街道の跡がわかる。長い間大峠には車道がなかったためであるが、1973(昭和48)年に大峠トンネルが完成した。取り付き道路は狭いままだったがいずれ拡幅されるだろうという前提で距離約1km+2車線幅の大きなトンネルである。ところが1982(昭和57)年にこのルートが国道439号線に昇格指定されるや、バイパス案が浮上して柳野集落のすぐ先から新大峠トンネルを抜くことになった。吾北村高岩から池川町中心部まで高規格道路で設計されたため、約3kmの長いトンネルが2003(平成15)年に完成した。トンネル竣工以来実に8年におよぶ難工事であった。下の写真を見ればわかるが、このトンネルとバイパスの完成により、通過車両は柳野集落を通らずに走行可能となった。山間部の道路の拡幅改良はさらなる過疎化を呼ぶのは間違いないが、これ以上減りようがないほどの過疎化になっているこの地域はどう変わるのだろう。
 作者は休日になるとよくこのルートを自転車で走っているのだが、メモを見ると月に一度は走っていることになる。周りを見ながら走ると明らかに人の気配のしない家が年々増えていく。いつも旧道を走って大峠トンネルへ向かい、池川町へと抜けるのだが子供の姿はもうしばらくお目にかかった記憶がない。途中にあった商店もいつの間にか閉じたままになり、今では柳野に1軒ではないだろうか。
写真中央が旧道、左のカーブがバイパス
旧道は右手の山沿いに九十九折れを繰り返して大峠トンネルへ、バイパスはすぐ先で新大峠トンネルへ。