浦越小学校(十和村)  うらごし   へき地級1(1978)
  旧昭和村立浦越小学校として設立、合併で十和村立に改称後、1989(H1)年に廃校
 

年度 1947(S22) 1962(S37) 1965(S40) 1970(S45) 1975(S50) 1980(S55)
児童数 81 60 59 42 23 20


 浦越小学校は村内を貫く国道381線から少し南に入った場所にある。今でこそ、トンネルと橋で直線的な道に変わった国道だが、かつては四万十川の流れに沿ってくねくねと走っていた。浦越も同様で学校前の道は以前国道であった。記録では学校設立は1874(明治7)年、以後115年を経てその歴史を終えている。


 訪問は2005(平成17)年9月、現在は「東部交流センター」が建てられている。かつての校舎は敷地西側、写真でいうと左側にあったらしい。敷地内には歴史を刻んだ記念碑が残っていた。
 以前は近くに大正営林署の事業所があって、林業に従事する人が多かったという。林業不振ととも国道の整備が進み地区を出て行く人が増え、小学校は統合された。当初は統合計画に地区総員が反対していたが、児童数の減少は急激に進んだために父兄は統合賛成に転じたという。最後まで年配者が強硬に反対したが、大人数での単式学級教育を望む父兄の説得もあって学校はなくなった。今でこそ小学校も中学校も昭和に通うが、かつて浦越の子供たちは中学校になると田野々にある大正中学校に通っていた。以前は国道とは名ばかりで、川沿いに蛇行していたことや集落によっては渡し船で渡るしかなかったためである。国道が整備され四万十川の各所に橋ができるとやがて昭和中学校に通うことになったそうだ。