豊永小中学校(大豊町)  とよなが
  豊永中学校は1969(昭和44)年に大豊中学校に統合、その後跡地が豊永小学校となるが20043(平成16)年に統合で大豊小学校に改称

 豊永小中学校は国道32号線からJR豊永駅を挟んだ南側にある。もともとこの地域は西豊永村と東豊永村に分かれていたのが1955(昭和30)年の合併で大豊町になった。そのため学校の統廃合が激しく、その経緯を掴みにくい地域である。まず中学校の歴史から行くと、1955(昭和30)年に東豊永中学校と西豊永中学校が統合されて現在の大豊小学校敷地に新設された。東豊永中学校は現在の東豊永小学校(休校中)敷地にあり、西豊永中学校は吉野川対岸にあった。その後過疎化が進んだために小中学校の再編計画が始まりまず豊永中学校の大田口中学校との統合が決定し、1969(昭和44)年に大豊中学校が大田口に新設された。続いて小学校は中学校統合後の敷地を使って翌1970(昭和45)年に新たに建設された。岩原・大砂子・西豊永・佐賀山分校の4校統合によって、豊永小学校が発足したわけである。その後2004(平成16)年に東豊永小学校との統合で大豊小学校と改称された。豊永の地名が学校から消えたわけである。
豊永小中学校跡(現大豊小学校)
 校庭西側には「大豊村立豊永中学校」と書かれた門扉が残っている。東側には大豊町立家政女学校が設立されていた時代もあり、地域の教育拠点であったことがわかる。大豊小学校は光ファイバーを使ったテレビ授業システムを行い、同じ過疎地の小規模校同士での交流を図るなど過疎地にありがちな固定された思考や視野を改善しようとしている。

大豊小学校のホームページ http://www.kochinet.ed.jp/otoyo-e/index.htm
2004年の第2回全日本小学校ホームページ大賞「県優秀校」に選ばれています

豊永中学校の門扉
 豊永集落はかつて国鉄時代には特急列車の停車駅でもあった。二度にわたる大火でかなりの家が焼けたそうである。この地域は林業で栄え、豊永や落合(東豊永)には料亭もあって賑わったそうだ。奥の西峰地区などは高知県内の小学校の修学旅行がほとんど香川県だった時代に東京に行っていた。今、この地区が一番賑わうのは例年2月中旬から南大王で始まる福寿草まつりである。
豊永集落