奈比賀小学校藤内分校(安芸市)  とうない   へき地級3(1960)
  旧東川村立奈比賀小学校分校として設立、安芸市合併後に市立となり1966(S41)年に本校統合
 

1955(S30) 1960(S35) 1965(S40)
児童数(小学校) 15 12 5

 藤内分校は終戦直後の余剰人口を対象に国策の一環として行われた開拓集落に設立された学校である。同様にして開拓が行われた記録があるのは高知県内だけでも上岡(河口小学校上岡分校/物部村=現香美市)・中峯(羽根小学校中峯分校/室戸市)・雑誌山(学校なし/池川町=現仁淀川町)など、全国的にも相当数に上る。しかし前述の県内集落はいずれも耕作地のしての適正や生活の不便さ(特に水利面)などによって営農放棄して集落移転、つまり現在では集落(住民)そのものが存在しない状態である。このため学校があった場合の訪問は困難が予想されているが、この藤内は訪問時期の関係もあって比較的楽な方であった。
学校跡付近
 訪問は2007(平成19)年11月、途中まではつい先日の別役小中学校訪問で通ったルートをほぼトレースする。安芸市市街地から県道208号線を伊尾木川沿いに遡り、加増家で二叉を右に進んで沈下橋を渡り県道207号線に入る。森林軌道の鉄橋跡を見ながら上流に向かい林道へと大きくUターンする。林道とはいえ舗装されており、道幅も広いのでそれほど神経を使わない。最盛期ということもあってあちこちで柚子の収穫を行っており、お年寄りを捜せば藤内の場所を知るのは簡単であった(収穫期でなければかなり厳しかったという気はする、この点非常にラッキーだった)。林道から右折してコンクリートの簡易舗装道を駆け上がった山頂に柚子園がありそこが藤内集落の跡であった。安芸市中心部から距離にして18km、時間は45分ほどの標高450mの山頂台地である。
 分校はその外れ藤内の鎮守様と呼ばれるお宮のまだ先にあったらしく、ちょうど柚子の収穫をしていた方に案内してもらった。廃校から既に41年経っていることや集団移転により住民が皆無なことから学校跡を伺わせるものは何もなく、跡地にはシキビが植えられていた。案内してくれた方の話では片隅にあるクスノキが校舎脇にあったものではないかということであった。ここまで道路が通じたのは柚子園の整備のためだそうで、かつては途中までの林道すらなかったそうである。もっとも1950年代までは20分も歩けば南側の谷筋に森林軌道があり、日常生活物資などの運搬はそれを利用していたそうだ。ただし地区に電気が通じたのは集落移転の直前とも言える1961(昭和36)年であった。分校児童は中学生になると入河内にある東川中学校に山越えで通っていたそうだが安芸市教育委員会の各資料では藤内分校についての記載がなく、正確な児童数は不明である。相互リンクしているHEYANEKOさんからいただいた全国学校総覧からのデータでは
 ・昭和33年 29名
 ・昭和34年 18名
 ・昭和35年 12名
 ・昭和36年 12名
 ・昭和37年 10名
 ・昭和38年  7名
 ・昭和39年 11名
 ・昭和40年  5名(最終年度)
となっている。
一面柚子園となった藤内集落跡