四万川小中学校(梼原町) しまがわ へき地級1(1978)
小学校は四万川西・東小学校を統合設立したが梼原小学校へ再統合
中学校は檮原村立四万川中学校として設立後、梼原中学校へ統合
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | 1998(H10) | 2004(H16) | 2008(H20) | |
在籍児童数 | 39 | 43 | 27 | ||||
在籍生徒数 | 174 | 242 | 159 |
梼原町中心部から愛媛県境へ国道197号線を5キロ走り、右折して県道を川沿いに西川小学校・上成小中学校跡の順に見ながらしばらく走って四万川小中学校へと向かう。
今は四万川小学校
校門跡
四万川中学校は1952(昭和27)年に四万川西・四万川東・上成の各中学校を統合して新設された。その後生徒の減少により1972(昭和47)年に梼原中学校へと再統合された。しばらくは校舎が残っていたが1984(昭和59)年に四万川西・四万川東・上成の各小学校を統合することになり、取り壊されて四万川小学校が建設された。同時に校庭を削って町道が拡張され、さらに校舎と校庭の間にも町道ができたため面影はない。かろうじて校門跡が残っている程度である。
訪問は2004(平成16)年2月、この冬一番の大雪の中であった。梼原中学校への統合では相当な反対運動が展開され、地元住民が県庁まで抗議活動を行い、さらには町長室に出向いて当時の町長を軟禁して議会への出席を拒んだと記録にある。自主授業という事実上の登校拒否もしながらの数ヶ月に及ぶ激しい反対運動は結局生徒の学業を考えて断念することになった。当時の資料を読むとその激しさがよくわかる。梼原町は平成の大合併で葉山村・東津野村と行っていた合併協議から離脱、以来単独自立を貫いている。自治体の合併はその地域の存亡に関わるが、学校の統廃合も同じであろう。