奥屋内小中学校(四万十市=旧西土佐村)  おくやない   へき地級2(1978)
  旧津大村立奥屋内小学校として設立、合併で西土佐村立に改称後、2000(H12)年に休校。2011(H23)年廃校。
 

 奥屋内へは口屋内で口屋内小学校を見ながら四万十川本流に別れを告げ、黒尊川を遡る。途中に玖木小学校跡を見ながら10数キロ走った奥屋内地区の中心高台に奥屋内小中学校がある。
 小学校の歴史は1874(明治7)年に奥屋内尋常小学校として発足している。その後本校だけでなく玖木分校(後に独立)や黒尊分校などもあった。最盛期の1961(S36)年には167名の児童が在籍し、併設の中学校と併せて266名の児童生徒数を誇っていたが、3世紀にまたがる寸前の2000(H12)に休校となった。
 中学校は当初大宮中学校分校として1947(S22)年に設置されたが、5年後の1952(S27)年に奥屋内中学校として独立した。分校開校時の生徒数は34人、その後1977(S52)年の村内中学校再編に伴い、廃校となった。

 訪問したのは2006(H18)年7月、雨続きのため濁った四万十川から黒尊川に入ると水量こそ多いものの、相変わらず澄んだ流れが続いている。この地域は昨年玖木小学校の取材に訪れて以来の訪問になる。奥屋内にはかつて中村営林署の事業所があり、流域の伐採流通で大いに賑わっていたという。当時は職員の厚生施設の一環として学校の維持費を中村営林局が一部負担していたという記録が残っている。全国中から山林作業のために移り住んだ人がいたらしいが、事業所の撤退とともに急激に過疎化が進んだ。
 現在校区内には児童生徒は一人もいない、当然乳幼児もいない。最年少は高校1年生、この生徒が奥屋内小学校最後の児童だそうだ。かつて奥屋内からさらに上流の黒尊にも分校があったが、こちらは住民も数名となっている。あと10年後に訪れたらおそらく校区内全住民ですら10名を切っているのではないだろうか。
校門

追記 : その後2011(H23)年3月をもって廃校手続きがとられた。