町立家政女学校(大豊町)  かせいじょがっこう
  私立吉川文化学園から旧西豊永村立家政高等女学校に昇格改称、合併で大豊町立に改称後、1979(昭和54)年に閉校
 

年度別卒業人員

年 度 S28 S30 S35 S40 S45 S50 S52 全年度合計
本 科 21 18 17 14 5 0 3 360
速成科 6 0 6 5 6 4 0 68
研究科 0 5 8 6 4 2 2 147
合 計 27 23 31 25 15 6 5 575

 大豊町に町立の家政学校として戦後の女性教育環境向上を目指した学校があった。元々は吉川某氏(詳細不明だが山城町の名士だったようだ)によって1946(昭和21)年に徳島県山城町に設立された私立吉川学園が原点である。昭和25(1950)年に当時の西豊永村西土居の村役場前に分室として設置された。その後1953(昭和28)年に西豊永村立家政高等女学校と昇格改称され、山城町の本校を廃止して本校生徒も西豊永村に移った。
 1955(昭和30)年の合併で大豊村立(のち町政移行のため町立)となり、県内でも類例を見ない町立の家政学校として運営されていた。しかし高校進学率の向上と過疎化・少子化進行により、1979(昭和54)年に26年に渡る歴史を閉じた。卒業生総数は575名を数え、その役割はじゅうぶんに果たしたと言えよう。
冬の家政女学校跡(写真提供:大豊小学校)

 閉校後も長らく校舎は残されていたが老巧化が進んだため、2003(平成15)年に取り壊された。そのため作者は撮影が間に合わず跡地の空き地でも撮るしかないかと覚悟していたが、幸いにも隣接する大豊小学校さんの好意で写真を入手する事ができた。2階建ての小さな学校だったようだが、農村の女性教育に果たした役割は大きかったのではないだろうか。

「教育信条」
1 農村婦女子であることに誇りを持て
  農村において良き主婦は、都会においても良き主婦となる。都会での良き主婦かならずしも農村において良き主婦とはなりにくい。
2 地の塩となれ
3 力なきものは道徳にかける者なりと
大豊小学校校庭から(写真提供:大豊小学校)