大西小学校(池川町)  おおにし   
  1876(明治9)年赤藪に設立、1965(昭和40)年池川小学校へ統合

 池川町中心部土居から愛媛県久万町に向けて国道494号線を走り、土居川を最初に渡った右手に大西小学校跡がある。

児童数

1912(T1) 1926(S1) 1945(S20) 1955(S30) 1963(S38) 1965(S40)閉校時
児童数 124 125 130 118 56 45

大西小学校跡
 小さな学校跡だが、過去の記録を見ると最盛期は1935(昭和10)年で児童数152人を数えている。戦後も1959(昭和34)年までは100人を上回る児童がいた。現在校区内に残る児童はわずか2人、2000(平成12)年には池川小学校即ち池川町内の児童数ですら100人を切り、1945(昭和20)年には1,500人を越えていた最盛期からは激減してしまった。
閉校当時
 訪問したのは2004(平成16)年4月、大西小学校跡周辺にも空き家が数軒あり、さらに国道の拡幅が行われて数軒が取り壊され立ち退きとなっていた。大西小学校の開設は1877(明治9)年で現在地より南方の赤藪に設置され、その後明戸岩に移転したあとに1887(明治19)年、現在の場所に設置された。大正時代から前述のように昭和30年代半ばまでは常に100人を超す児童がいた。
 現在校舎は解体され、公民館と倉庫が建てられている。片隅に追憶の碑と並んで二宮金次郎像が残っている。統合時の児童数45人というのは珍しいが、当時複式学級の解消を目指して池川町が策定していた「池川町綜合開発及び過疎振興計画(1963=昭和38年)でも当初樫山小学校の統合を第一に考えていたとある。これは安居小学校の老巧化に伴う改築と一緒に統合する計画でその後町内の小学校を徐々に統合する予定であった。ところが大西小学校校区民より池川小学校への統合要望が出され、急遽町議会議決を経て統合となった経緯がある。当初は通学に国鉄バスを利用した記録が残っている。