大道中学校(十和村) おおどう へき地級3(1978)
旧十川村立十川中学校分校として設立、独立後に町村合併で十和村立に改称後、1990(H2)年に廃校
年度 | 1947(S22) | 1962(S37) | 1965(S40) | 1970(S45) | 1975(S50) | 1980(S55) |
生徒数 | 30 | 25 | 15 | 15 | 20 | 20 |
大道中学校へは十和村役場のある十川地区から東へ向かい、旧十川小学校の手前で四万十川支流久保川沿いに林道(全面舗装)を約9kmほど遡る。1947(昭和22)年に十川中学校分校として設立され、1951(昭和26)年に大道中学校として独立、1990(平成2)年に十川中学校に統合されその歴史を閉じた。分校当初から大道小学校に併設されていたが、1972(昭和47)年に新築移転された。とはいえ直接の行き来はできないものの、川向こうになるだけでほぼ隣同士に等しい。
訪問したのは2005(平成17)年10月、既に廃校後15年も経っており校舎はなくお決まりの集会所が建てられている。四万十川を遡るとはいえ、標高は242m(手持ちの携帯型GPS)と思ったほどでもない。校庭跡は雑草が生い茂り、雨上がりだったためにさすがにマムシが怖く校門からの撮影とした。写真最奥に写っているのは休校中の大道小学校体育館である。
校区は当初大道集落と口大道集落であったが、道路事情の改善で口大道集落は十川中校区に変更されている。大道集落は現在でも県鳥であるヤイロチョウが生息するほど豊かな自然を誇る。かつては天然林を伐採するために700人近くいた人口は今200人を少々越える程度に激減した。未だ赤松の美林が残り、秋には松茸も採れるがそれだけでは生活が成り立たない。お茶・椎茸といった特産品も輸入品との価格競争や販売ルートの確立ができず、地区に残るのは老人ばかりである。地区内の教育への熱心さは村内でも有数のものだっと言うが、肝心の児童生徒がいなくなってしまった。