能津第二小学校(日高村)  のうづだいに   へき地級1(1974)
  旧能津村立第二小学校として設立、日高村立能津第二小学校に改称後能津小学校に統合

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
在籍児童数 50  45  26 



 能津地区(旧能津村)は日高村の北半分に相当し、仁淀川沿いにあたる。ルートはいくつかあるが、能津第二小学校のある名越屋地区へは国道33号線日高村小村(目印は千本杉と国宝の太刀で有名な小村神社)で北進するか、伊野町から国道194号線を仁淀川沿いに走り名越屋沈下橋を渡ることになる。高知市方面からは国道194号線経由のほうが早い。
 能津第二小学校は1888(明治21)年に能津尋常小学校名越屋分教場として設立され、のちに独立した。能津村と日下村が合併し日高村になった直後の1959(昭和34)年に統合案が出ているがこの時は地元の反対で立ち消えになった。しかし能津地区全体の過疎化が急激に進んだ1975(昭和50)年、旧能津村にあった3小学校(能津第一・能津第二・鴨地)を統合し能津小学校が新設され、その歴史を閉じた。尋常小学校時代から合計では725名の卒業生を送り出している。閉校時の児童数は16名、現在は旧校区内に数名しかいないそうだ。いるだけでもよいのかもしれない、多くの地域では児童数ゼロというのも珍しくはないのだから。

能津第二小学校跡

 仁淀川南岸の県道沿いにあると思っていた能津第二小学校は県道から離れた山中にあった。実を言うと能津第二小学校があったというのは知っていたが、どうしても場所がわからず日高村教育委員会で住宅地図を見ていてやっとわかった次第である。県道から狭い山道を上って学校跡に着く。駐車スペースがないので隣の民家に断って庭先に車を置くことにしたら、この民家の方が現在は学校跡を譲り受けて使っているとの事であった。「倉庫と畑になっちゅうきねえ」と言われたが、写真撮影は快諾をいただいた。
 山中にあるのは校区だった柱谷地区からは山越えをすれば近いのでここに設置されたはずと教えていただいた。なるほど地図で確認すると山越えで1kmほどだが、川沿いにまわると4km近くある。児童数を聞いたら「能津村時代の多いときは60人越えちょったろうか、賑やかなもんじゃった。今は片手で足りやせんろうか。」との事であった。