西峰小中学校(大豊町)  にしみね   へき地級1(1978)
  旧東豊永村立西峰小中学校として設立、
   中学校・小学校ともに2000(平成12)年に東豊永小学校・大豊中学校に統合され休校

年 度 S30 S35 S40 S45 S50 S55 S60 H2 H7 H11 H12
児童(小学校)数 209 216 180 126 45 36 32 23 17 5 休校
生徒(中学校)数 88 100 109 74 45 11 15 12 11 5 休校

 西峰はJR豊永駅から国道439号線を走り、行く手に徳島県との県境である京柱峠が見えて来る頃にやっと到着する集落である。西峰小中学校はかつて集落の中にあったが、1982(S57)年に小学校、続いて1992(H4)年に中学校が集落下にある長瀬川畔に移転した。元々の跡地には診療所が建てられている。国道439号線は徐々に改良が進みつつあるが、非常にもろい地質のため工事は難航しているそうだ。国道439号線は県境手前最後の部落となる沖から先が冬季閉鎖となっていて、県境にもゲートが設置されている。徳島県側は最後の民家地点から除雪は行わず、高知県側も沖から先は除雪を基本的には行っていない。しかし温暖化のおかげで小雪となったため、降雪直後でなければ何とか走り抜けることが可能なケースが多い。ただし、それなりの装備(最低限チェーンは必須)と覚悟がいる。作者は仕事の都合で何度か冬季に京柱峠を越えて東祖谷村へと抜けたが、四駆+スノータイヤでは厳しい時があり、以降スタッドレスに換えた経験がある。徳島県側に通行止めゲートがないために四駆+夏タイヤのまま進入した県外ドライバーが立ち往生しているのも数度見た。

西峰小中学校跡

 訪問は2004(H16)年6月。小中学校の手前には保育所があるが、こちらも現在は閉じられている。かつて西峰は林業で栄え、経済的にも大変豊かであった。1950年代の高知県内の修学旅行は小学校が四国内(金比羅参りや小豆島)、中学校が関西(京都・奈良)が定番だった。この頃西峰中学校は高知県内で唯一東京へ修学旅行に出かけていた。林業だけでなく、南側の柚ノ木にはスキー場があり、冬はスキー客で賑わっていた。この地域は北に大きな山がないため、北西の季節風を伴った雪雲が瀬戸内海を越えて直接吹き付ける事が多い。今でも稜線付近には遅くまで雪が残る地域である。しかし、温暖化による雪不足の進行と交通事情の改善でスキー客は本州へ流れるようになり、1960年ごろにスキー場は閉鎖された。林業も衰退し、今は老人ばかりが住む地域となった。西峰集落から少し京柱峠方面へ走ると国道脇の民家に児童用の自転車が見えた。大豊小学校に確認したところ、西峰からの通学生徒は現在のところ一世帯のみでここから通っているそうである。 
 移転が最近だったために現在の校舎は小学校が2007年度まで、中学校は2012年度まで、それぞれ起債償還が残る。つまりそれまでは休校とせざるをえないのであろう。

旧西峰小中学校跡(現西峰診療所)