西谷小学校(いの町=旧吾北村) にしだに
旧小川村立西谷小学校として設立、合併で吾北村立に改称後1976(昭和51)年に閉校
1955(S30) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1973(S48) | |
児童数 | 83 | 66 | 39 | 22 |
西谷小学校跡
西谷小学校跡へはかつての小川村中心地であった小川から県道を「川又」の標識に従って北進し、川又で三叉路を左に進む。川沿いに高樽方面に3キロほど進むとやがて道路左側に学校跡が見える。廃校後に払い下げられ、一時は住宅代わりに使われた事もあったそうだが今は無人である。
ここも東谷小学校と同様に小川村時代には100名を越える児童がいたもよう。計算すると作者の高校時代の同級生もこの小学校の閉校を経て統合された小川小学校を卒業しているはずだ(卒業以来会っていないので詳細を聞けないのが残念)。校舎手前がおそらく校庭だったようだが、今は雑草が生い茂るばかりである。一部にコンニャク芋が生えているが、これも現在栽培中なのか以前栽培していたのを放置してあるのかどうかわからない。
この地域でも林業・炭焼き・楮三椏の栽培が主な産業であった。今は建設公共工事が一番の産業となり、道路が拡幅されるに連れて人々は山を去った。平成の合併でいの町となったが、基本的には吸収された形をぬぐえない。メインルートとなる国道194号線から外れた国道439号線、さらにそこから奥に分け入るこの地域の合併効果が出る頃にはもう人はいなくなっている気がする。