立川小学校仁尾ヶ内分校(大豊町) におがうち
旧大杉村立仁尾ヶ内分教場として設立、合併で大豊町立に改称後、1973(S48)年に本校統合
年度 | 1955(S30) | 1960 | 1965 | 1970(S45) | 1972 | 1973(S48) |
児童数 | 12 | 11 | 9 | 11 | 6 | 廃校 |
四国自動車道大豊ICを役場方面とは反対の方向に数百m走り右折、川口小学校跡と見ながら山間を走る。立川小中学校跡を過ぎてさらに進むとやがて立川番所跡が見える。仁尾ヶ内はここからさらに細い山道を数キロ走った山腹になる。
写真中央のビニールハウスが学校跡
訪問は2004(平成16)年3月。学校跡がわからず農作業をしていた方に聞くと、偶然にも学校跡地の所有者の方であった。記念碑も何もなく、今は写真のようにビニールハウスが建っているのでわかるわけはない。最盛期には48世帯あり、児童だけで30人は越えていたそうだが今では18世帯30人足らず。向かいの山のあそことここにも家があったと教えてくれた。仁尾ヶ内分校は3年生まででそれ以上は立川小学校へ通ったそうであるが、1973(昭和48)年の立川中学校統合に伴い、立川小学校が改築された際にバス輸送を条件に仁尾ヶ内分校は立川本校へ統合された。今となってはこれが過疎の大きな分岐点となったそうで、統合を機に潮を引くように人がいなくなったそうである。
伊野町の成山でも同じ事を聞いたのだが、ここも現在杉檜が生えている場所はすべて楮三椏の栽培地だったそうだ。春先には黄色い花が山をじゅうたんのように覆い、今の殺風景な山ではなかったそうだ。その頃は棚田も健在で、山には活力が満ちあふれていたのだろう。今では山で畑をするにも水の確保に悩む有様である。