仁ノ小学校(春野町) にの
旧仁ノ村立仁ノ小学校として設立、西畑小学校と統合のため1950(S25)年に閉校
仁ノ小学校は1907(明治39)年に仁ノ村尋常小学校として設立され、43年後の1950(昭和25)年に閉校になった。交通事情の改善などで西隣の西畑小学校と統合され、仁西小学校として新設移転した。
記念碑の残る学校跡
訪問は2005(平成17年11月)、もともと春野町町史でも仁ノ小学校については統合の記載はあるものの場所が定かでない。春野町教育委員会でも正確な場所が把握できないとの事であった。地元で聞けばわかるだろうと仁ノ地区へ行き、農作業をしていた老人に聞くとすぐわかった。8年ほど前に地元有志で記念碑を建立してあるという。
「学校の事なら記念碑建立活動の中心的な役割をしたSさんに聞けばよい」と言われ、S氏宅を訪問すると運の良いことに在宅であった。S氏の話では明治以降寺子屋があったこの場所に日露戦争当時に急激に増加した児童のため、当時の仁ノ村が正式に尋常小学校を設立した。その後仁ノ村と西畑村が合併して仁ノ西畑村になってからも学校はそれぞれあったが、交通事情の改善と互いに児童の増加で手狭になったのと老巧化が進んだため中間地点に新設統合して移転したそうだ。この間卒業生は1,500人を越えていたという。最近になって記念碑を作ろうという計画になり、記念碑周辺の土地を町に買い上げてもらって設置したという。
当時の学校は平屋建てでちょうど記念碑付近が校門、この校門が倒れて死亡事故もあったらしい。閉校後すぐに払い下げになり老巧化も進んでいたので校舎はすぐ解体された。今はコンクリート塀が一部残るのみである。現在県道は仁ノ地区を大きく離れ海岸縁を一直線に走る。地図上では春野町役場付近から県道が延びているがこれはとりあえず舗装している程度の山道に等しい。このため仁ノ地区自体は昔の雰囲気を残したまま静かに佇んでいる。
今も残る塀