宮木小学校(東津野村) みやき
東津野村立宮木小学校として設立後、中央小学校へ統合
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | |
在籍児童数 | 62 | 47 | 51 |
東津野村中心部から国道197号線を檮原方面へ向かい、大わらじを目印に右折して川沿いに走ると公民館が見えてくる。よく見るとジャングルジムも片隅にあって、それが宮木小学校跡である。
訪問したのは2005(平成17)年1月、小雪の舞う寒い日であった。校区は宮谷と木桑で両方の上の字をとって宮木と名付けたそうだ。大正時代に分教場として設置され、1948(昭和23)年に単独校として独立した。1972(昭和47)年に中央小学校に統合されたが、分室として存続し最終的に1974(昭和49)年に閉校となった。
この地域は津野山と呼ばれ、豊かな自然を誇り人々はその恵みを糧として生きていた。しかし、紙幣交換主義一辺倒の経済主義はかつてニホンオオカミやツキノワグマが闊歩した山を鳥も鳴かぬ死の森としてしまった。そして山村は単なる労働力の拠出点としてその役割を終えさせられ、今また非効率という汚名を浴びせられ不本意な町村合併の荒波に埋没しようとしている。我々は数十年後にその大きな過ちに気が付くだろう、しかしその時には取り返しのつかない事態になっている。すべてを数字だけで計る浅ましさ、バブルの時と何も変わりはしない。