桑瀬小学校(いの町=旧本川村)  くわせ
  1967(昭和42)年度に本川小学校に統合、その後統合先の本川小学校も2002(平成14)年に長澤小学校に統合
    

年度 1958(S33) 1962(S37) 1963(S38) 1965(S40) 1968(S43)3月閉校時
児童数  25 29 28  27 14

 最大の難所であった寒風山トンネルが全面改良され一気に交通量の増した国道194号線、その高知愛媛県境から最初の集落がこの桑瀬になる。もっとも集落と言ってもほとんど住民は残っておらず、一般的には「道の駅本川あるいは木の香温泉」の対岸というほうがわかりやすい。県境からは約4kmほどの場所である。桑瀬小学校の歴史は1898(明治31)年に遡る。戦後は脇ノ山小学校(後に本川小学校に改称)桑瀬分校となっていたが、1957(S32)年に桑瀬小学校として独立した。その後過疎化の進行により、1968(S43)年3月をもって廃校となり本川小学校に統合された。なおS34年発行(データ自体はS33年)の全国学校名鑑では分校となっているが、本川村史を優先した。

 訪問したのは2010(平成22)年5月、本川支所(旧本川村役場)で「記念碑が山際に残っている」と聞いていたので確認。道の駅への進入路のちょうど正反対の場所に学校跡記念碑があった。校区内の現住民数は4名、道の駅以外にも産直市や喫茶店などがあるがいずれも通いだそうである。また手前の支流を遡った中ノ川にも手打ち蕎麦屋があるがこちらも夜間は無人らしい。林業が盛んだった頃には支流の谷筋などに100名近い住民がいたそうで、一番通いやすいこの場所に小学校が建てられたそうである。廃校後は桑瀬保育園として再利用されていたがそれも1989(H1)年に閉鎖されている。
 統合から42年の年月が経っていることや現在の住民状況からかつての学校の様子についてはほとんど現地での聞き取りができなかった。今後も折に触れ情報を知るつもりである。