奥屋内小学校黒尊分校(西土佐村=現四万十市) くろそん
旧津大村立奥屋内小学校分校として設立、1957(H32)年に本校統合
黒尊分校は本校統合(実質的な廃校)となってから50年余の歳月が経過しており、頼みの綱の国会図書館や国土地理院の所蔵地図でも学校の記載された地図が見当たらず場所の特定に苦労していた。おまけに現地は過疎化が進み、住民に話を聞こうにも相手を見つけることが出来ない状態であった。過去2回訪問しながら空振りに終わっており、今回もあちこちで聞き回ってやっと場所の特定ができた。
3回目の訪問は2010(H22)年8月、口屋内から国道441号線を離れ黒尊川を遡ってゆく。途中以前訪問済みの玖木小学校と奥屋内小中学校を見ながらさらに奥へ進む。口屋内から20km足らずで黒尊集落、名前からしてこの周辺に分校があったと思っていたのだが実際にはさらに4kmほど奥の標高360m地点にあった。黒尊集落で聞き込みをしたがあいにく主婦の方しかおらず、しかも2人とも嫁いできたので分校があったことすら知らないと言う。今回も敗北かと思いながら諦めきれずまわりをうろついていると川縁に軽トラが停まっており草刈をしている老人がいたので声をかけた。何と分校の卒業生でわざわざ所在地まで案内してくれた。
校舎は右手にあったらしい
彼によると廃校後に建て替えられ集会所となっていたが林業不振であっという間に人がいなくなり1970(S45)年頃からは付近はほぼ無人となっていたらしい。1950(S25)年前後には分校付近だけでも30人程度、今の黒尊集落付近には150人ほどいたらしい。その後も3kmほど下流には営林事業所があって規模縮小しながらもそれなりに住民もいたらしい。1999(H11)年に事業所が閉鎖となり、四万十森林管理署に統合され黒尊には森林管理官の常駐する森林事務所すら設置されなかった。その数年後には土砂崩れのために事業所や職員官舎が全て取り壊されて往事の面影はまったくない。事業所跡地は親水公園となっている。
学校の歴史は1919(大正8)年に設置された私設黒尊家庭教育場に遡る。設置の記録しか残っていないが名称から推測するに、林業関係者の子弟に向けた学校教育施設であろう。その後公設に移管し分校としての歴史を正確に開始したのであろう。訪問時点で旧校区内にUターン者の子供が2名おり、遠く口屋内小学校まで通学している。