口屋内小中学校(四万十市=旧西土佐村) くちやない へき地級1(1978)
小学校 津大村立口屋内小中学校から合併で西土佐村立に改称、2012(H24)年度に廃校
中学校 津大村立口屋内小中学校から合併で西土佐村立に改称、1977(S52)年度に廃校
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | 1998(H10) | 2002(H14) | 2008(H20) | 2012(H24) | |
児童数 | 107 | 192 | 101 | 32 | 12 | 10 | 7 | 5 |
生徒数 | 52 | 96 | 42 |
注 在籍児童数には統合前の学校児童数を含まず
口屋内は四万十川本流と支流黒尊川の合流点に位置する集落である。地形上洪水に悩まされた記録が残っており、特に江戸時代の中流域の郷村であった下山郷の最下流であったために洪水の都度に後始末に追われていた。黒尊川河口左岸(四万十川右岸)には洪水のおかげで土砂の堆積があり、水田として利用されている。1974(S49)年に口屋内大橋が完成するまでは沈下橋のみが四万十川左岸との交通手段だった。1976(S51)年には口屋内から宇和島市との間に黒尊スーパー林道(全長51.8km)が全通している。
学校校舎と体育館
訪問は2016(H28)年3月、実際には過去3回訪問しているがまだ廃校前で取材対象ではなかった。2005(H17)年玖木小学校、2006(H18)年奥屋内小学校、2010(H22)年奥屋内小学校黒尊分校をそれぞれ訪問した際に現在の児童数を確認するために統合先である本校に立ち寄っている。学校の歴史はまだ真新しい閉校記念碑に詳細が記載されている。1874(明治7)年に口屋内学舎として発足、1948(S23)年に中学校併設となった。1977(S52)年に中学校が西土佐中学校に統合され、老朽化の進んでいた校舎を1985(S60)年に新築した。その間前述のように玖木小学校と奥屋内小学校を統合している。津大村→西土佐村→四万十市と合併を経るごとに自治体名が変わったが、四万十市の学校再編計画により2012(H24)年3月をもって新設の西土佐小学校に統合されその歴史を閉じた。当方は専門家ではないのだが一見したところ耐震補強がされていないようで、やはりこの費用が廃校の一因になったのであろう。
玄関
校舎
校庭には開校百周年記念の碑が残っている。住民の方に聞いたところ、開校百年祭は1976(S61)年に行われ大賑わいだったそうだ。正門脇には真新しい閉校記念碑がある。
開校百年記念碑
閉校記念碑
プール
対岸の国道441号線から
対岸からの全景
江戸時代には木材の筏流しの中間点宿場町として賑わった記録が残されている。1960年代まではやはり林業で多くの人々が働いていた。黒尊には天然林が残り、この頃まではツキノワグマも生息していたようである。
口屋内小学校校歌
1 小高き丘の学舎に 朝の光が映えわたり メタセコイヤが揺れている 希望の旗を高く上げ 我らは育つ健やかに ああたたえよ口屋内小
2 若鮎おどる四万十川 清き流れのせせらぎを 朝に夕べに聞きながら 今日も元気な歌声が 四方の谷間にこだまする ああたのしき口屋内小
3 空にそびえる西が峰 はるかにあおぎ向学の 息吹も清くうち集い みんな仲良く手をつなぎ 平和な世界を築くのだ ああ栄えあれ口屋内小