香宗小学校(野市町)  こうそう
  旧香宗村立香宗小学校として設立、合併で大忍村立、解体で再び香宗村立、合併で野市町立のあとに19758(S33)年に廃校
 

 香宗小学校は他の多くの小学校と同じく明治時代から尋常小学校としての歴史があった。第二次世界大戦中からの香宗村の合併で大忍村誕生と分離解体、野市町への合併と所属する自治体名称がわずか10数年の間にめまぐるしく変わった。新制野市町発足から3年後に老朽化と児童数の増加が原因で富家小学校とともに新設された野市東小学校に統合されている。

昭和初期 香宗尋常小学校時代の写真

 訪問は2006(平成18)年7月、廃校時期が古いため当時の写真については諦めていたが、野市町合併50周年記念誌に昭和初期の写真が掲載されていた。上記の写真がそれであり、以前富家小学校訪問時に野市町企画課から掲載許可をいただいた。学校跡地は現在消防団屯所と公園と保育園(現在は休園)となっているが、記念碑が建てられている。

香宗小学校跡

 香宗小学校の所属していた地域は戦中の合併と昭和の大合併、そして平成の合併と三度の合併を経ている上に途中で分離解体による変更があった。香宗村→大忍村→香宗村→野市町→香美市となっており、こうも合併が続くと資料の散逸は避けられない。香宗小学校としての名称も大忍村解体から野市町合併までの10年ほどであり、野市町誕生から半世紀近く経った今では地元でもここに小学校があった事自体知らない人多い。富家小学校との統合も過疎化によるものではなく、学校施設の老巧化と効率運営が発端となっている。地区内では大規模な宅地開発こそなかったものの、過疎化もほとんど進行しておらず今も穏やかな田園風景が中心である。

記念碑